「語る人」が変わるとき——笹森恵子さん偲ぶ会、長濱ねるのドラマ、平和宣言骨子が映す構造の転換
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被爆80年を目前に控えた広島で、三つの出来事がほぼ同じ時期に重なった。「原爆乙女」笹森恵子さんの偲ぶ会、被爆3世・長濱ねるさん主演のドラマ制作、そして広島平和宣言の骨子発表——いずれも「誰が語るのか」という問いを、それぞれの角度から突きつけている。
これは単なる世代交代の話ではない。証言という行為を支えてきた仕組みそのものが、いま形を変えようとしている。
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笹森恵子さんの偲ぶ会——「語る身体」が消えたあとに残るもの
広島市内で開かれた笹森恵子さんの偲ぶ会。会場には、笹森さんと交流のあった被爆者や秋葉忠利・元広島市長の姿があった。
笹森さんは1945年、13歳で被爆した。顔や手に深いケロイドを負い、1955年に渡米——アメリカの市民団体と医師が受け入れた「ヒロシマ・メイデンズ(原爆乙女)」25人のうちの一人だった。治療後もアメリカにとどまり、英語で、自分の皮膚を見せながら証言を続けた。その回数は生涯で数百回に及ぶとされる。
偲ぶ会で繰り返し語られたのは、笹森さんの言葉そのものだった。「I am not a victim. I am a survivor.(私は犠牲者ではない。生き残った者です)」——この一文は、彼女の証言活動の核にあった姿勢を凝縮している。被爆の痛みを訴えるだけでなく、「生き延びた者として何を伝えるか」という問いを自分に課し続けた人だった。
厚生労働省の統計によれば、被爆者健康手帳の所持者数は2024年3月末時点で約10万6千人。平均年齢は85歳を超えた。毎年およそ数千人が亡くなっている。笹森さんの死もまた、この数字の中にある。しかし偲ぶ会の空気が伝えていたのは、統計では掬いきれないものだった——「語る身体」がひとつ消えるたびに、聞く側の回路もひとつ閉じるという、静かな断絶の感覚だ。
遺族や友人たちは、笹森さんの証言映像や手記を整理し、アーカイブ化を進めているという。言葉は残る。だが、ケロイドの残る手を差し出しながら「触ってごらん」と言った、あの身体ごとの伝達は、もう再現できない。ここに、証言の「仕組み」が抱える根本的な課題がある。
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長濱ねるのドラマ——フィクションが引き受ける「語り」の機能
偲ぶ会とほぼ同じ時期に動いていたもうひとつのプロジェクトがある。被爆3世である俳優・長濱ねるさんが主演する、広島を舞台にしたドラマだ。
長濱さんは長崎県出身。祖父母の世代が被爆を経験している。彼女自身は直接の被爆体験を持たない。その「持たなさ」が、このドラマでは出発点になっている。
注目すべきは、このドラマが「証言の再現」ではなく「証言を聞いた側の物語」として設計されている点だ。主人公は、祖母から断片的に聞いた被爆の記憶と、現代の自分の生活との間で揺れる。過去を「正しく」語ることへのプレッシャー、語る資格があるのかという逡巡——そうした「継承のコスト」そのものが物語の軸に据えられている。
長濱さんはインタビューで、こう語っている。「祖母の話を聞いたとき、怖いという気持ちと、ちゃんと覚えていなきゃという気持ちが同時にあった。でも覚えていても、私が話すと祖母の言葉とは違うものになる。それが怖かった」。
この言葉には、世代間継承の本質的なジレンマが映っている。体験者の言葉を「そのまま」伝えることは不可能だ。しかし「そのまま」でなければ価値がないのか——フィクションという形式は、その問いに対するひとつの回答になりうる。
証言が「事実の正確さ」で成り立つとすれば、フィクションは「感情の正確さ」で成り立つ。体験していない人間が、体験者の痛みに近づこうとする過程そのものを描くこと。それは証言の代替ではなく、証言を受け取る側の回路を新たに開く試みだ。
ここに、語りの仕組みの転換がある。証言者→聴衆という一方向の構造から、「聞いた者が、聞いたことをどう抱えるか」を見せるという双方向の構造へ。語り手が「体験者」から「継承者」に移るとき、語りの形式もまた変わらざるを得ない。
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平和宣言骨子——「語る制度」が直面する現実
三つ目の動きは、広島市が発表した平和宣言の骨子だ。被爆80年となる2025年8月6日の平和記念式典で読み上げられる宣言の方向性を示すもので、その中に「核兵器のない世界は遠のいている」という一文がある。
この認識は、数字が裏づけている。ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の2024年報告書によれば、世界の核弾頭総数は推定約1万2千発。前年からの削減ペースは鈍化し、むしろ中国やロシアは近代化・増強の方向にある。核兵器禁止条約(TPNW)の締約国は70カ国を超えたが、核保有国は一国も参加していない。日本もまた、アメリカの「核の傘」の下にあり、条約には署名していない。
平和宣言は毎年、広島市長が読み上げる。被爆者の声を制度として残す仕組みのひとつだ。だがその宣言が「核兵器のない世界は遠のいている」と認めざるを得ない状況は、制度としての語りが持つ限界をも露わにしている。
宣言の骨子は、核抑止論への依存を批判し、為政者に対して被爆地訪問と対話を求めている。しかし、ここにもひとつの構造的な問題がある。宣言を届けたい相手——核保有国の指導者——は、この宣言の聴衆ではない。届けたい人に届かない言葉を、それでも毎年発し続けること。その営みの意味を、どう位置づけるか。
松井一實・広島市長は骨子の中で、市民社会の役割を強調している。国家間の交渉が停滞するなかで、NGOや自治体、教育機関が「語りの回路」を多層的に持つことの重要性——これは、証言者個人に依存してきた従来の仕組みからの転換を、制度の側からも求める動きだと読める。
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三つの出来事が映す構造——「誰が語るか」から「どう届けるか」へ
笹森恵子さんの偲ぶ会、長濱ねるさんのドラマ、平和宣言の骨子。この三つは、それぞれ異なる領域——個人の証言、フィクション、公的制度——に属している。しかし、いずれも同じ問いの前に立っている。
「語る人」がいなくなったとき、語りは消えるのか。
この問いに対して、三つの出来事はそれぞれ異なる回答を試みている。偲ぶ会は「記録と記憶の保存」、ドラマは「継承者の葛藤をそのまま見せること」、平和宣言は「制度として語り続けること」。どれかひとつが正解ではない。むしろ、この三つが同時に存在していること自体が、語りの仕組みが多層化しつつある証だ。
被爆者の平均年齢が85歳を超えたいま、「世代交代」という言葉はもはや予告ではなく現在進行形の事実だ。だが交代するのは「世代」だけではない。語りの形式、届ける回路、受け取る側の態度——すべてが同時に変わろうとしている。
笹森さんは「触ってごらん」と手を差し出した。長濱さんは「祖母の言葉と私の言葉は違うものになる」と認めた。平和宣言は「核兵器のない世界は遠のいている」と書いた。三つの言葉のトーンはまったく異なる。しかし、そのどれもが「それでも語る」という選択をしている点で、同じ方向を向いている。
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今後の注目点
- 証言アーカイブの設計思想:笹森さんの映像・手記のデジタル化がどのような形で公開されるか。「検索できる証言」と「身体ごと伝わる証言」の距離をどう設計するかが問われる。
- ドラマの受容:長濱さんのドラマが「被爆3世の物語」として受け止められるか、それとも「広島を舞台にしたドラマ」として消費されるか。視聴者の反応が、継承の現在地を測る指標になる。
- 被爆80年式典の宣言全文:骨子から全文へ。どの言葉が残り、どの言葉が削られるか。宣言の編集過程そのものが、「何を優先して語るか」の判断を映す。
- 核兵器禁止条約の締約国会議:2025年に予定される第3回締約国会議で、日本のオブザーバー参加の有無。宣言の言葉と国の行動の距離が、改めて可視化される。
語る人は変わる。届け方も変わる。だが「それでも語る」と決めた人がいる限り、言葉は次の身体を探して歩き続ける。
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