路線価22.5%上昇の駅前と、「ここで暮らし続けたい」と答えた被災地——広島、二つの地価が映すもの

同じ県の中に、数字が跳ね上がる土地と、数字では測れない土地がある。 2024年分の路線価が公表され、広島駅南口の駅前通りが前年比22.5%の上昇を記録した。バブル期を思わせる伸び率の背景には、駅ビルの建て替え開業、周辺の商業施設の集積、そ

By Rei

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同じ県の中に、数字が跳ね上がる土地と、数字では測れない土地がある。

2024年分の路線価が公表され、広島駅南口の駅前通りが前年比22.5%の上昇を記録した。バブル期を思わせる伸び率の背景には、駅ビルの建て替え開業、周辺の商業施設の集積、そして広島電鉄の駅前大橋ルート整備への期待がある。一方、同じ広島県内——広島駅から車でおよそ30分の坂町小屋浦地区では、2018年の西日本豪雨から6年が経ったいまも、住民たちが「ここで暮らし続けるために何が必要か」を問い続けている。

片方は資本が集まり、もう片方は人が残ろうとしている。この二つの地価の話は、「土地の値段とは誰のための数字か」という問いを静かに差し出している。

22.5%——数字の裏にある「集中」の構造

広島駅前通りの路線価は1平方メートルあたり256万円。22.5%という上昇率は、全国の都道府県庁所在地の最高路線価の中でも際立つ数字だった。

この上昇を支えているのは、単発のイベントではなく、複数の計画が同時に動いている構造そのものだ。2025年春に全面開業した新・広島駅ビルは商業フロアとホテルを備え、広島電鉄の路面電車が駅ビル2階に直接乗り入れる「駅前大橋ルート」の整備も進む。駅南口の再開発エリアでは複合ビルの建設が続き、オフィス需要と宿泊需要が同時に膨らんでいる。

広島県全体で見ても、住宅地の平均地価は5年連続で上昇し、商業地では20%超の上昇を示す地点が複数確認されている。つまり、駅前だけが突出しているのではなく、「広島駅を核にした都市機能の集中」が面として広がっている——そう読むのが正確だろう。

ただし、集中には裏側がある。地価が上がるということは、その土地に「乗れる人」と「乗れない人」が分かれるということだ。駅前の賃料が上がれば、個人商店は撤退を迫られる。固定資産税の上昇は、古くからの住民にとって見えにくいコストとしてのしかかる。広島市中区・南区の家賃相場はこの数年で1割近く上がったとする不動産データもあり、単身の高齢者や若年層にとっては、「発展」がそのまま「暮らしにくさ」に転じる可能性がある。

地価の上昇は、都市の活力を示す指標であると同時に、誰がその場所に居続けられるかを選別する装置でもある。

「ここで暮らし続けたい」——坂町小屋浦の6年

広島駅から呉方面へ向かう途中、山と海に挟まれた小さな谷筋に坂町小屋浦地区はある。2018年7月の西日本豪雨では、土石流が集落を直撃し、16人が犠牲になった。家屋の全半壊は200棟を超え、地区の人口は被災前のおよそ3,000人から減少を続けている。

そのなかで、住民有志が立ち上げた地域の交流拠点「つどえる家」が、2024年に開設5周年を迎えた。ここは行政の施設ではなく、住民が自ら運営する場所だ。子どもの学習支援、高齢者の見守り、防災ワークショップ——機能は多岐にわたるが、根底にあるのは「顔を合わせる場所を絶やさない」という一点に尽きる。

住民を対象に行われたアンケートでは、「ここで暮らし続けたい」と答えた人が多数を占めた。ただし、その回答には条件がついている。「砂防堰堤の整備が進むこと」「避難路が明確であること」「買い物や通院の足が確保されること」——つまり、気持ちだけでは残れないという現実が、言葉の裏側に透けている。

小屋浦地区の路線価は、駅前通りとは比較にならないほど低い。地価だけを見れば、この土地に経済合理性はほとんどない。しかし、住民がこの場所に見出しているのは、資産価値ではなく「関係の蓄積」だ。隣の家の子どもの名前を知っていること。災害のとき誰がどこにいたかを覚えていること。そうした記憶と関係の網の目が、この土地を「自分の場所」にしている。

地価には載らないが、確かに存在する価値がある。

二つの土地が問いかけるもの

広島駅前と坂町小屋浦——この二つの土地を並べるとき、安易に「都市と地方」「経済と人情」という対立軸で語ることは避けたい。そうした二項対立は、どちらかを美化し、どちらかを切り捨てる構造をつくりやすいからだ。

むしろ注目すべきは、二つの土地に共通する問いのほうだろう。それは「この場所に、誰が残れるのか」という問いだ。

駅前では、地価の上昇が「残れる人」を選別する。小屋浦では、インフラの有無が「残れる人」を決める。メカニズムは異なるが、構造は同じだ。ある場所に人が住み続けられるかどうかは、個人の意志だけでは決まらない。仕組み——交通、医療、防災、家賃、税制——が整っているかどうかに、大きく左右される。

広島県が2024年度に策定を進めている「都市計画マスタープラン」の改定案では、「コンパクト・プラス・ネットワーク」の考え方が改めて強調されている。都市機能を拠点に集約しつつ、周辺部との交通ネットワークで結ぶという構想だ。理念としては正しい。しかし、「集約」される側の土地に暮らす人々にとって、それは「あなたの場所は拠点ではない」と告げられることでもある。その通知を受け取る側の感情と生活を、計画のなかにどう組み込むか——ここに仕組みの設計力が問われる。

地価は「結果」であり、「問い」でもある

路線価は年に一度、国税庁が発表する。相続税や贈与税の算定基準として使われる、いわば行政上の数字だ。しかし、その数字が映し出すのは、単なる土地の取引価格ではない。どこに資本が向かい、どこから資本が引いているか——つまり、社会がどの土地を「必要」としているかの地図でもある。

22.5%上昇した駅前は、「社会が必要としている土地」として可視化された。では、小屋浦はどうか。路線価の数字だけを見れば、社会はこの土地を「必要としていない」ように映る。しかし、そこに暮らす人々が「ここで暮らし続けたい」と答えたとき、その言葉は路線価とは別の座標軸で、この土地の価値を主張している。

二つの数字を並べたとき、見えてくるのは「地価とは何を測っているのか」という根本的な問いだ。資本の流れを測っているのか、暮らしの豊かさを測っているのか。あるいは、そのどちらも測れていないのか。

広島という一つの県のなかに、この問いが同時に存在している。駅前のガラスに反射する光と、小屋浦の谷筋を流れる水の音と——どちらも、誰かの「ここにいたい」を支える土地の話だ。

仕組みが人を楽にするとき、その仕組みは正しい。では、いまこの県にある仕組みは、どちらの土地の「ここにいたい」を、楽にしているだろうか。

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