バス運転手の就職説明会、インドネシア人が免許を取り、向原高校が募集停止になる——「人がいない」の三角形

同じ週に、三つのニュースが広島県から届いた。バス運転手の就職説明会にインドネシア出身の2人が並んでいたこと。県内のバス運転手が約80人足りないと知事が明言したこと。そして安芸高田市の向原高校が、2029年度の生徒募集停止を発表したこと——一

By Rei

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同じ週に、三つのニュースが広島県から届いた。バス運転手の就職説明会にインドネシア出身の2人が並んでいたこと。県内のバス運転手が約80人足りないと知事が明言したこと。そして安芸高田市の向原高校が、2029年度の生徒募集停止を発表したこと——一見ばらばらに見えるこの三つは、同じ地面の上でつながっている。「人がいない」という言葉が、運転席にも、教室にも、地域そのものにも重なっている。

運転席に座る人を、どこから連れてくるか

広島県内のバス事業者が抱える運転手不足は、数字にすると約80人。広島電鉄、広島バス、備北交通など複数の事業者が慢性的な欠員を抱え、一部では減便や路線の見直しが現実の選択肢として上がっている。横田知事は県議会の場で「外国人材の活用を含め、あらゆる手段を検討する」と述べた。

その「あらゆる手段」の一端が、先日開かれた就職説明会の風景に見えた。会場には日本人の参加者に交じって、インドネシア出身の2人の姿があった。すでに日本の大型二種免許を取得済みか、取得を目指して教習中だという。大型二種免許の取得には、教習所で約30万〜50万円の費用と数カ月の訓練が必要になる。言語の壁だけでなく、日本独自の交通法規や運転マナーの習得も求められる。それでも彼らがこの職を選んだのは、「日本で安定した仕事に就きたい」という明確な動機があるからだ。

バス運転手という仕事は、2024年問題——時間外労働の上限規制適用——によって、一人あたりの労働時間が制限される方向にある。つまり、同じ本数のバスを走らせるには、これまで以上に「頭数」が要る。不足の80人という数字は、規制強化が進めばさらに膨らむ可能性がある。外国人材の参入は、その穴を埋める一つの回路として期待されている。

ただし、ここで問いたいのは「外国人を雇えば解決するのか」ではない。「なぜ、地元からこの仕事を選ぶ人が出てこないのか」という、もう一段手前の問いのほうだ。

教室から人が消える——向原高校の募集停止が映すもの

安芸高田市の県立向原高校は、2029年度から生徒の募集を停止する方針が示された。広島県教育委員会が進める県立高校の再編計画の一環であり、背景にあるのは入学者数の減少だ。近年、1学年あたりの入学者は20人を下回る年が続いていた。全校生徒を合わせても、かつての1学年分に届かない。

向原高校は1948年の開校以来、70年以上にわたって地域の教育を担ってきた。農業科を持ち、地域産業との接点を持つ学校でもあった。卒業生の中には地元のバス会社や建設業、農業に就いた人も少なくない。つまり、この学校は「地域で働く人」を送り出す仕組みの一部だった。

安芸高田市の人口は約2万5000人。2000年時点では約3万5000人だったから、20年余りで1万人が減った計算になる。15歳未満の年少人口比率は10%を割り込みつつある。学校が成り立たなくなるのは、子どもがいないからだ。子どもがいないのは、子どもを育てる世代がこの土地にいないからだ。若者がいないから運転手も足りない。運転手が足りないからバスが減る。バスが減ると、高校に通う手段が一つ消える——この循環は、どこから手をつけても同じ壁にぶつかる。

三角形の構造——三つの「不在」が描く図形

ここで三つの事象を並べてみる。

  • バス運転手が足りない——労働力の不在
  • 向原高校が募集停止になる——若年人口の不在
  • インドネシア出身者が免許を取って説明会に来る——地元人材の不在を外から補う動き

この三つは、原因と結果が一方向に流れる直線ではない。互いが互いの前提を崩し合う三角形だ。若者が減るから運転手が足りない。運転手が足りないから路線が減る。路線が減ると通学が不便になり、学校の存続が危うくなる。学校がなくなれば、その地域に子育て世代が住む理由が一つ減る。そしてまた、若者が減る。

外国人材の参入は、この三角形の一辺——「運転手不足」——に対する直接的な手当てではある。しかし、残りの二辺には届かない。インドネシアから来た2人が運転席に座ったとしても、向原高校の教室に生徒は戻らない。彼らの存在が意味するのは、「地元で人を育てて地元で働いてもらう」という従来の循環が、すでに自力では回らなくなっているという事実のほうだ。

仕組みが先か、人が先か

地域交通の維持は、単なるサービスの問題ではない。バス路線は、高校生の通学、高齢者の通院、買い物弱者の生活を支えるインフラだ。広島県の中山間地域では、自家用車を持たない住民にとって、バスが止まることは「移動の自由」が止まることに等しい。

一方で、バス事業者の経営も厳しい。地方路線の多くは赤字であり、自治体の補助金で辛うじて維持されている。運転手の年間賃金は全産業平均を下回り、全国のバス運転手の平均年収は約400万円前後とされる。早朝・深夜のシフト、休日出勤、乗客対応のストレス——待遇と労働環境の両面で、若い世代が積極的に選ぶ職種とは言いがたい現実がある。

広島県は2024年度から、バス運転手の確保に向けた支援策を拡充する方針を打ち出している。大型二種免許の取得費用の補助、外国人材の受け入れ体制の整備、そして職場環境の改善に向けたガイドラインの策定——施策は並んでいる。しかし、それらが「仕組み」として機能するには、施策同士がつながる必要がある。免許取得の補助だけでは、取得後に定着するかどうかは分からない。外国人材の受け入れ体制を整えても、住居や言語支援、地域との関係構築まで含めた設計がなければ、人は残らない。

向原高校の募集停止についても同じことが言える。学校を閉じること自体は、生徒数の現実を前にすれば避けられない判断かもしれない。しかし、「閉じた後」の設計——統合先の学校への通学手段、地域に残る教育機能の代替、跡地の活用——が見えなければ、募集停止は単なる撤退になる。

「誰を楽にするか」という問い

この三角形を前にして、問いたいのはこうだ——今動いている施策は、誰を楽にするのか。

バス会社を楽にするのか。乗客を楽にするのか。外国から来て免許を取った人を楽にするのか。それとも、向原高校がなくなった後の地域に残る人を楽にするのか。

答えは一つではないし、一つであるべきでもない。ただ、施策がばらばらに走っている限り、楽になる人は限られる。運転手の確保策と、学校の再編計画と、地域交通の維持策が、同じテーブルの上で語られているか。少なくとも現時点では、それぞれの担当部署がそれぞれの課題として処理している——そこに、構造的な問題の根がある。

インドネシアから来た2人が就職説明会で何を感じたか、記事の取材では拾いきれていない。彼らがこの土地で暮らし、バスを走らせ、乗客と言葉を交わす日が来たとき、その路線の沿線にはもう向原高校はないかもしれない。それでも、そのバスに乗る誰かがいる限り、路線には意味がある。

仕組みは、人のためにある。人がいなくなったとき、仕組みをどう組み直すか——それは撤退の話ではなく、設計の話だ。三角形の三辺を同時に見る目が、今この地域には要る。

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