芸備線の実証実験は「経済効果4割以下」だった——乗ることと使うことの間にある溝
Related Articles
乗客は来た。でも、まちには降りなかった
広島県北部を走るJR芸備線の一部区間——備後庄原〜備中神代間を含む、輸送密度が全国最低水準とされる区間で実施された鉄道の実証実験が、ひとつの事実を突きつけた。実験による経済効果が、当初見込みの4割以下にとどまったのだ。
乗客は増えた。列車には人が乗った。しかし、その人たちは「乗ること」が目的であり、沿線のまちで買い物をし、食事をし、宿に泊まるという「使うこと」にはつながらなかった——。この結果が示しているのは、移動インフラの存続議論において最も見落とされがちな問いである。「乗る人を増やすこと」と「地域経済を回すこと」は、同じ話ではない。
この溝は、芸備線だけの問題ではない。広島県内ではいま、高速道路、バス、複合施設と、複数の移動インフラが同時に動いている。それぞれの施策を並べてみると、共通する構造的な課題が浮かび上がる。
—
「乗車」と「消費」のあいだに何があったのか
芸備線の実証実験は、再構築協議会の枠組みのなかで、地域の交通手段としての鉄道の役割を再検証し、存続に向けた判断材料を得ることを目的に実施された。増便や企画きっぷの導入、沿線イベントとの連動など、複数の利用促進策が組み合わされた。
結果として、実験期間中の乗客数には一定の増加が見られた。ところが、沿線地域での消費額——飲食、宿泊、土産物購入など——を集計すると、事前に想定されていた経済効果の4割に届かなかった。
なぜか。報告から読み取れるのは、乗客の多くが「芸備線に乗ること自体」を目的とした、いわゆる乗り鉄的な訪問者だったという構造だ。列車に乗り、車窓を楽しみ、折り返してそのまま帰る。沿線の店舗や観光施設に立ち寄る動線が、仕組みとして設計しきれていなかった。
これは関係者の努力不足というより、もっと根深い問題を含んでいる。そもそも、備後庄原〜備中神代間の輸送密度は1日あたり数十人規模とされる区間だ。沿線に降りて「使える」場所——飲食店、体験施設、宿泊施設——の絶対数が限られている。乗客を増やす仕掛けと、降りた先で過ごせる場をつくる仕掛けは、本来セットで設計されなければならない。しかし実証実験の枠組みでは、前者に比重が偏った。
「乗る」と「使う」のあいだには、降りる理由をつくるという、もうひとつの段階がある。その段階を誰が、どの予算で、どの時間軸で担うのか。実証実験はその問いを、数字で可視化した。
—
広島高速5号線——「つなぐ」インフラの別の顔
芸備線が「乗る人は来たが、まちに降りなかった」という課題を抱えるいっぽうで、広島市内では別の移動インフラが形になりつつある。
広島高速5号線は、広島駅北口と東区温品を結ぶ約4kmの都市高速道路だ。二葉山トンネルを含むルートの完成イメージ映像が公開され、開通後の所要時間短縮効果が具体的に示されはじめている。広島駅周辺の再開発と連動する形で、都心部へのアクセス改善が期待されている。
ここで少し立ち止まって考えたいのは、高速5号線と芸備線の対比だ。高速道路は「移動時間の短縮」という明確な便益を、日常的に通勤・通学・業務で使う人々に届ける。利用者にとって、乗ることと使うことが最初から一致している。移動そのものが目的ではなく、移動の先にある仕事や生活が目的だからだ。
芸備線の実証実験が苦戦したのは、まさにこの構造の裏返しでもある。日常の移動需要が極端に薄い区間で、非日常の訪問者を呼び込もうとしたとき、「乗ること」と「使うこと」は自然には結びつかない。結びつけるには、意図的な仕組みが要る。
—
モビリティワールドの延期が映すもの
広島市西区、かつてのマリーナホップ跡地に計画されている「ひろしまモビリティワールド」の開業が、2028年春に延期されることが発表された。多様な乗り物の展示・体験を核とした複合施設で、移動そのものをエンターテインメントとして再定義しようという構想だ。
延期の背景には建設コストの上昇や設計の見直しがあるとされるが、ここでも「乗る」と「使う」の関係が問われている。移動を体験として楽しませる施設が、周辺地域の回遊や消費にどうつながるか。施設単体の集客力と、地域経済への波及効果は、別の設計が必要になる。
マリーナホップがかつて直面したのも、立地と回遊の問題だった。施設に来ても周辺に「次に行く場所」がなければ、消費は施設内で完結し、地域には広がらない。モビリティワールドが同じ轍を踏まないためには、施設の中身だけでなく、施設の外——周辺の動線、交通接続、沿道の受け皿——まで含めた設計が求められる。
開業が延びた時間を、その設計に充てられるかどうか。延期という事実の裏側にある可能性を、少し注視しておきたい。
—
50円バスが問いかける「次の一手」
夏休み期間中、広島県内の298路線で小学生のバス運賃を50円にする施策が実施される。子どもの移動を後押しし、親子での外出——ひいては消費を喚起する狙いだ。
この施策が興味深いのは、「乗る人」のターゲットを子どもに絞ったことで、乗車の先にある消費の主体が「親」に移る構造をつくっている点だ。子どもが「バスに乗りたい」と言えば、親がついていく。親がついていけば、目的地で財布を開く可能性が生まれる。乗る人と使う人(消費する人)が、同一でなくてもよいという設計になっている。
298路線という数は、広島県内のバス路線網のかなりの部分をカバーする規模だ。これだけの面的な広がりがあれば、特定の観光地だけでなく、日常の商業圏にも人の流れが生まれうる。
ただし、これが一過性のイベントで終わるのか、それとも「子どもが公共交通に乗る習慣」という長期的な種まきになるのかは、施策の設計次第だ。50円という価格が夏休みだけの特別措置であるかぎり、9月以降の利用行動に変化が残るかどうかは未知数である。仕組みとして定着させるには、価格だけでなく、乗った先の体験を含めた設計が要る。
—
「乗る」から「使う」へ——仕組みの不在という本質
芸備線の実証実験、高速5号線、モビリティワールド、50円バス。四つの施策を並べてみると、それぞれの角度は違うのに、突き当たる問いは同じだ。
移動インフラは、人を「運ぶ」だけでは地域を支えられない。
乗客数という指標は、交通事業者にとっては存続の根拠になる。しかし、地域にとっての価値は、乗った人がどこで降り、何をし、いくら使い、また来るかという一連の流れのなかにある。その流れを設計する主体が、いまの制度のなかでは曖昧なままだ。
鉄道事業者は列車を走らせる。自治体は補助金を出す。観光協会はパンフレットをつくる。商店街は独自にセールを打つ。それぞれが自分の持ち場で動いているが、「乗る」から「使う」への橋渡しを、全体として設計する役割を誰が担っているのか——そこに、仕組みの空白がある。
再構築協議会という枠組みは、鉄道の存廃を議論する場として設計されている。だが、芸備線の実証実験が示したのは、鉄道を残すかどうかの手前に、「残したとして、どう使われる状態をつくるか」という問いがあるということだ。その問いに答えるには、交通と商業と観光とまちづくりを横断する、もうひとつの設計図が要る。
—
編集後記
「経済効果4割以下」という数字は、一見すると失敗の報告に見える。けれど、この数字が出たこと自体に意味がある。乗客数だけを見ていたら、実験は「成功」と報告されていたかもしれない。消費まで追いかけたからこそ、乗ることと使うことの溝が数字で見えた。
見えた溝は、埋められる溝だ。
問題は、その溝を埋める仕事を、誰の持ち場にするかが決まっていないことにある。交通の議論と地域経済の議論が、同じテーブルに載る日が来たとき——芸備線の実証実験は、そのテーブルの脚を一本、静かに立てたことになる。
—
JA
EN