大雨でしまなみ止まり、新幹線止まり、錦川鉄道も止まる——瀬戸内の「つながり」は何本の糸で吊られているか

三つの路線が同時に消えた日 大雨が降ると、瀬戸内の地図から線が消える。 しまなみ海道——尾道と今治を結ぶ全長約60kmの自動車専用道が通行止めになった。山陽新幹線——広島・博多間の約280kmが運転を見合わせた。そして錦川鉄道——岩国市

By Rei

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三つの路線が同時に消えた日

大雨が降ると、瀬戸内の地図から線が消える。

しまなみ海道——尾道と今治を結ぶ全長約60kmの自動車専用道が通行止めになった。山陽新幹線——広島・博多間の約280kmが運転を見合わせた。そして錦川鉄道——岩国市の錦町と清流新岩国を結ぶ全長32.7kmのローカル線が終日運休した。

規模も役割もまるで違う三本の線が、同じ一日に止まった。これは偶然ではない。瀬戸内という地域が、どれだけ少ない本数の糸で吊られているかを示す構造の話だ。

「代わりがない」という静かな恐怖

しまなみ海道が止まったとき、尾道と今治の間を行き来する手段はフェリーに限られる。しかし荒天時にはそのフェリーも欠航する。つまり、本州と四国の島嶼部をつなぐルートが文字通りゼロになる時間帯が生まれる。

大島、伯方島、大三島——しまなみ海道沿いの島々には合わせて約2万人が暮らしている。通行止めの間、島の診療所で対応できない急患が出たらどうなるか。ドクターヘリの出動が可能な天候であればいい。だが大雨と強風が重なれば、ヘリも飛べない。「代わりがない」という事実は、平時には見えない。止まった瞬間にだけ、その輪郭が浮かび上がる。

山陽新幹線の広島・博多間が止まると、影響は桁が違う。JR西日本の公表データによれば、山陽新幹線の1日あたりの輸送人員は約18万人(2023年度実績)。広島・博多間だけでもその相当数が足止めされる。在来線の山陽本線に振替輸送が集中するが、もともと単線区間を含む在来線に新幹線の旅客を吸収する余力はない。広島駅の在来線ホームに人があふれ、高速バスの予約は瞬時に埋まる。出張者は宿を探し、観光客はスケジュールを組み直す。その一つひとつが、宿泊費・キャンセル料・機会損失という形で地域経済に跳ね返る。

錦川鉄道が止まるとき、見えなくなるもの

三つ目の線——錦川鉄道の終日運休は、ニュースの扱いとしては最も小さい。だが、編集者として最も気になったのはここだった。

錦川鉄道の沿線人口は約4,000人。その多くが高齢者だ。1日の平均乗客数は約300人に過ぎない。数字だけ見れば「影響は限定的」と書けてしまう。しかし、その300人にとって錦川鉄道は通院の足であり、買い物の足であり、孫に会いに行く足だ。代替となる路線バスは本数が少なく、タクシーは台数が限られる。自家用車を持たない高齢者にとって、鉄道の運休は「今日一日、家から出られない」を意味する。

山陽新幹線が止まれば全国ニュースになる。しまなみ海道が止まれば観光情報として拡散される。だが錦川鉄道が止まったことは、沿線の住民以外にはほとんど届かない。報じられない寸断は、対策の優先順位からも外れやすい。ここに、交通ネットワークの脆弱性をめぐるもう一つの構造的な問題がある——「見えないものは、守られにくい」という問題だ。

瀬戸内の交通網を「面」で見る

三つの路線を並べてみると、瀬戸内の交通網がどのような構造で成り立っているかが少し見えてくる。

山陽新幹線は「背骨」だ。東西に走る大動脈であり、広島・岡山・北九州という都市圏を高速でつなぐ。しまなみ海道は「肋骨」にあたる。背骨から南へ、瀬戸内海を越えて四国へ渡る数少ない連絡路だ。本州と四国を結ぶ本四連絡橋は三本あるが、広島県側から直接四国へ渡れるのはしまなみ海道だけだ。そして錦川鉄道は「毛細血管」——背骨から枝分かれし、中山間地の集落に血液を送る細い管だ。

背骨が折れれば全身が動かなくなる。肋骨が折れれば呼吸が苦しくなる。毛細血管が詰まっても、本人以外は気づかない。だが、詰まった先の組織は確実に壊死に向かう。

問題は、この三層がそれぞれ独立した事業体によって運営されていることだ。山陽新幹線はJR西日本、しまなみ海道は本州四国連絡高速道路株式会社、錦川鉄道は第三セクター。災害時の復旧判断も情報発信も、それぞれの組織の基準と速度で行われる。利用者の側から見れば一つの「移動」であっても、運営側から見れば別々の「事業」だ。このギャップが、災害時の混乱を増幅させる。

冗長性という設計思想

交通工学の世界では「冗長性(リダンダンシー)」という概念がある。一つのルートが断たれても、別のルートで機能を維持できる状態を指す。東京や大阪のような大都市圏では、鉄道・バス・地下鉄・高速道路が網の目のように張り巡らされており、一本が止まっても迂回路がある。冗長性が高い。

瀬戸内はどうか。本州と四国を結ぶルートは三本。広島県から四国への直通は一本。中山間地への鉄道は一本。冗長性は、構造的に低い。

では代替ルートを増やせばいいのか。話はそう単純ではない。しまなみ海道の建設費は約7,500億円。新たな連絡橋をもう一本架けるとすれば、同等かそれ以上の費用がかかる。錦川鉄道の年間営業収入は約1億円に対し、運営費用はその数倍に上る。赤字を補填しながら維持しているのが実態だ。「もう一本」を引く余力は、財政的にはない。

だからこそ問われるのは、既存のインフラをどう「つなぎ直す」かという発想だ。ハードを増やすのではなく、ソフトで冗長性を確保する。具体的には——災害時に自動的に起動する代替輸送の協定、自治体をまたいだ情報共有の仕組み、フェリーや漁船を含む地域の移動資源の可視化。こうした「仕組みの冗長性」が、物理的なインフラの少なさを補う唯一の現実解になる。

江田島の高齢者等避難情報が映すもの

今回の大雨では、江田島市全域に高齢者等避難の情報が発令された。江田島市の人口は約2万1,000人、高齢化率は約45%。つまり約9,500人の高齢者に避難の判断が委ねられたことになる。

江田島は島だ。本土との間を結ぶのは、早瀬大橋と切串・小用などを発着するフェリー。大雨でフェリーが欠航すれば、橋一本が唯一の退路になる。その橋も、風速や雨量によっては通行規制がかかる。

「高齢者等避難」は避難指示の一段階前にあたる。自力での避難に時間がかかる人に対し、早めの行動を促す情報だ。だが、移動手段そのものが断たれている状況で「早めに避難してください」と言われても、動きようがない人がいる。情報の発信と、移動手段の確保は、本来セットで設計されなければならない。ここにもまた、仕組みの隙間がある。

気候変動と「次の大雨」

気象庁のデータによれば、1時間降水量50mm以上の「非常に激しい雨」の年間発生回数は、1976〜1985年の平均と比べて約1.5倍に増えている。瀬戸内地域も例外ではない。2018年の西日本豪雨では、広島県内だけで100名以上の死者が出た。交通網の寸断は数週間に及んだ。

「次の大雨」は、来年かもしれないし、来月かもしれない。そのとき、同じ三本の線がまた同時に消える可能性は十分にある。問われているのは、止まったあとにどれだけ早く代替手段を立ち上げられるか——そして、止まったことすら報じられない路線の沿線に、どうやって支援を届けるかだ。

糸の本数を数える

瀬戸内の「つながり」は、思っているよりずっと少ない本数の糸で吊られている。背骨の新幹線、肋骨のしまなみ海道、毛細血管の錦川鉄道——それぞれの糸が切れたとき、誰が最も困るかは違う。新幹線が止まれば出張者が困る。しまなみが止まれば島の住民が困る。錦川鉄道が止まれば、山あいの集落で一人暮らしをしている誰かが、今日の通院を諦める。

交通ネットワークの脆弱性は、数字で測ることもできる。だが本当に見るべきは、その数字の向こう側にいる一人ひとりの「今日の移動」だ。仕組みは人のためにある。仕組みが止まったとき、最初に声を上げられない人のところへ、どうやって手を届かせるか。

三本の線が同時に消えた日——その事実が問いかけているのは、インフラの強度ではなく、私たちの想像力の射程だと思う。

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