被団協存続議論・折り鶴体験スペース・三登浩成さん谷本清賞——「記憶の継承」を仕組みにする人たち

被爆者の平均年齢が85歳を超えた。語れる人が減っていく——その事実は、もう何年も前から分かっていたことだ。けれど「分かっていた」ことと「仕組みにする」ことの間には、途方もない距離がある。 2025年春、広島から届いた三つのニュースを並べて

By Rei

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被爆者の平均年齢が85歳を超えた。語れる人が減っていく——その事実は、もう何年も前から分かっていたことだ。けれど「分かっていた」ことと「仕組みにする」ことの間には、途方もない距離がある。

2025年春、広島から届いた三つのニュースを並べてみる。被団協の存続を巡る議論、原爆資料館に新設された折り鶴体験スペース、そして胎内被爆者・三登浩成さんへの谷本清平和賞の授与。一見ばらばらに見えるこれらの動きは、同じ問いの上に立っている——「記憶を個人の献身に頼らず、どうやって次の世代へ手渡すか」。

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被団協の存続——「被爆者の団体」から何へ変わるのか

2024年、ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)。その栄誉の裏側で、組織の土台が静かに揺らいでいる。

厚生労働省の発表によれば、被爆者健康手帳を持つ人の数は2025年3月末時点で約10万6千人。ピーク時の1980年度には約37万人だったことを思えば、3分の1以下にまで減った。被団協の加盟団体でも、役員の高齢化や会員の逝去が重なり、活動の維持そのものが課題になっている地域は少なくない。

東京都内で開かれた全国代表者会議では、この問題が正面から取り上げられた。中間報告の中で繰り返し語られたのは、「被爆2世・3世を中心とした存続」の必要性だ。広島県被団協は明確に「存続」を要望し、組織のあり方を再定義する議論を求めた。

ここで少し立ち止まりたい。「存続」という言葉が意味するものは、単に組織を残すことではない。被団協がこれまで担ってきた機能——証言の場をつくること、政策提言を行うこと、被爆者同士をつなぐこと——を、被爆者本人がいなくなった後も回し続ける仕組みをどう設計するか、という問いだ。

注目すべきは、会議の中で「地域の教育機関との連携」が具体的な施策として挙がったことだろう。広島県被団協は、地域の小中学校と協力し、被爆証言の映像アーカイブを活用した授業プログラムの構築を検討している。語り手がいなくなっても、語りの構造は残せる。属人的な継承から、制度的な継承へ——その転換点に、いま被団協は立っている。

ただし、課題も見える。2世・3世の多くは60代から70代に差しかかっており、「次世代」と呼ぶにはすでに高齢化が進んでいる。さらに若い世代——被爆者の孫やひ孫にあたる人々——が関わる回路をどう開くか。ここが、存続議論の本当の核心になるはずだ。

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折り鶴体験スペース——「見る」から「手を動かす」への設計

原爆資料館東館1階に新設された「折り鶴体験スペース」。この動きを、単なる「体験コーナーの追加」と読むのはもったいない。

原爆資料館には年間約190万人(2023年度実績)が訪れる。そのうち外国人来館者の割合は近年急増しており、2023年度は過去最多を記録した。多言語・多文化の来館者に対して、展示物を「見せる」だけでなく、身体を通じた体験を設計する——折り鶴体験スペースは、その思想の具体化だ。

折り鶴を折るという行為は、言語を選ばない。英語の説明書きを読めなくても、隣の人の手元を見れば折り方は伝わる。一枚の紙を手に取り、角を合わせ、折り目をつける。その数分間、来館者は展示を「見た人」から「手を動かした人」に変わる。記憶の継承において、この差は小さくない。

もう一つ注目したいのは、完成した折り鶴の行き先だ。資料館では、来館者が折った鶴を集め、平和記念公園内の「原爆の子の像」に捧げる仕組みを設けている。個人の行為が集積され、公共の場に届く。この導線の設計に、記憶を「個人の感想」で終わらせず「共有された行為」に変換する意図が見える。

特に子どもたちにとって、展示室で受けた衝撃をどう消化するかは切実な問題だ。重い事実を見た後に、自分の手で何かをつくる時間がある。それは、無力感を少しだけ和らげる仕掛けでもある。見るだけでは受け止めきれないものを、手を動かすことで着地させる——そういう場所として、このスペースは機能しうる。

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三登浩成さん、谷本清平和賞——「毎日」の重み

三登浩成さんは、母親の胎内で被爆した「胎内被爆者」だ。自身には被爆の直接的な記憶がない。にもかかわらず、20年以上にわたり、原爆資料館や平和記念公園を訪れる人々に核兵器の恐ろしさを伝え続けてきた。

この事実の重さを、少し噛みしめたい。

「記憶がないのに語る」——これは矛盾ではない。三登さんが伝えてきたのは、自分の記憶ではなく、母から聞いた言葉であり、被爆者たちの証言であり、資料が示す事実だ。つまり三登さん自身が、すでに「継承の仕組み」として機能している。一次体験者から二次体験者へ、そして聞き手へ。その中継点に、三登さんは自らの身体を置き続けてきた。

谷本清平和賞は、広島で被爆し、戦後アメリカに渡って平和運動を展開した牧師・谷本清の名を冠する賞だ。平和活動に貢献した個人や団体に贈られる。三登さんの受賞は、華やかな一回の講演ではなく、「毎日、そこに立ち続けた」という持続の力が評価されたものだと読める。

三登さんの活動が示しているのは、継承とは必ずしも「体験者であること」を前提としないということだ。体験がなくても、事実を学び、言葉を受け取り、それを自分の声で語ることはできる。この構造は、被爆者がいなくなった後の継承のモデルケースになりうる。

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三つの現場が指し示すもの

被団協の存続議論、折り鶴体験スペース、三登浩成さんの受賞。三つの出来事を並べたとき、浮かび上がるのは「記憶の継承」を支える構造の多層性だ。

被団協は、組織という器で継承を制度化しようとしている。折り鶴体験スペースは、身体的な行為を通じて記憶への接点を設計している。三登さんは、個人の持続的な実践そのものが仕組みになりうることを証明している。

アプローチは違う。けれど、三つの現場が共有しているのは同じ認識だ——「語れる人がいなくなる」という現実を前に、記憶を個人の善意や使命感だけに委ねることはもうできない。

制度で支える。空間で支える。実践の型で支える。どれか一つでは足りない。複数の層が重なって初めて、記憶は次の世代に届く。

今後の焦点は、これらの取り組みがどう接続されるかにある。被団協の証言アーカイブが資料館の体験プログラムに組み込まれる可能性。三登さんのような「体験なき語り手」の育成が、被団協の2世・3世活動と重なる可能性。個々の点が線になり、面になる——その過程にこそ、継承の本当の力が宿る。

記憶は、放っておけば薄れる。それを知っているから、人は仕組みをつくる。仕組みの中に、あの日の温度を残そうとする人たちがいる。

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