花壇を手入れする人、橋桁の前に立つ人、教壇に立つ被爆者——「続ける」を支える構造は、どこにあるのか

10年間、花を絶やさなかった人がいる 広島市安佐南区八木地区。2014年8月20日の広島土砂災害で77人が犠牲になったこの地区で、町内会長がひとつの花壇を守り続けている——もう10年になる。 花壇は手作りだ。特別な予算がついているわけで

By Rei

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10年間、花を絶やさなかった人がいる

広島市安佐南区八木地区。2014年8月20日の広島土砂災害で77人が犠牲になったこの地区で、町内会長がひとつの花壇を守り続けている——もう10年になる。

花壇は手作りだ。特別な予算がついているわけでも、行政の事業として位置づけられているわけでもない。毎年、季節が巡るたびに新しい花が植えられ、地域の人がそこに足を止める。慰霊碑の前に立つのとは少し違う。生活の動線の中に、亡くなった人を思い出す場所がある。その設計自体が、この花壇の本質だろう。

しかし、ここで一歩引いて見なければならないことがある。この花壇が存在し続けている理由は、仕組みではなく、一人の人間の意志だということだ。町内会長が体を動かせなくなったとき、花壇はどうなるのか。花が絶えたとき、そこに集まっていた人々の記憶の回路もまた、途切れるのか。

これは八木地区だけの話ではない。広島という街が抱える、記憶の継承をめぐる構造的な問いそのものだ。

アストラムライン橋桁落下事故——追悼の「場」が持つ時間的限界

1991年3月14日、広島高速交通アストラムラインの建設現場で橋桁が落下し、作業員や通行中の市民ら15人が死亡、8人が重傷を負った。開業前の建設事故という性質上、事故の記憶は「乗客」としての体験に紐づかない。だからこそ、現場での追悼行為が記憶の唯一のアンカーになってきた。

毎年3月、事故現場付近では追悼が行われる。遺族や関係者が花を手向け、黙祷を捧げる。だが、事故から33年が経過した今、参列者の顔ぶれは少しずつ変わっている。当時を直接知る人が減り、「なぜここに花があるのか」を説明できる人もまた減っていく。

追悼イベントの継続には、会場の手配、参列者への連絡、メディアへの告知といった実務がある。これらを誰が担っているのか——多くの場合、遺族会の中心メンバーや地域の有志だ。つまり、ここでもまた「続ける人」の個人的な負荷の上に、公共的な記憶が載っている。

行政は追悼に「協力」はするが、「主催」はしない。この微妙な距離感が、追悼の持続可能性を左右する。協力は、主催者がいなくなれば消える。仕組みとして残るのは、主催の構造を持つものだけだ。

「戦争になったら関係ない人も関係ある人も関係なく巻き込まれる」

もうひとつの現場がある。近距離被爆者・友田シズヱさんが小学校の教壇に立ち、子どもたちに語りかける場面だ。

友田さんは爆心地から約1.5キロの地点で被爆した。証言活動を長年続けてきた友田さんの言葉は、教科書の記述とは質が異なる。「戦争になったら悲しい」——この一言は、歴史的事実の伝達ではなく、目の前の大人が自分の体で知ったことを差し出す行為だ。子どもたちが受け取るのは「情報」ではなく「温度」だろう。

だが、ここにも時間の壁がある。被爆者の平均年齢は85歳を超えた。広島市が把握する被爆者健康手帳の所持者数は、2024年3月末時点で約10万6千人。ピーク時の約37万人から7割以上減少している。証言活動ができる被爆者は、さらに限られる。

友田さんの講演は、学校側が依頼し、友田さんが応じるという一対一の関係で成り立っている。友田さんが講演できなくなったとき、その学校は「次の語り手」を探すのか、それとも授業そのものをやめるのか。多くの場合、後者になる。個人と個人の信頼関係で成り立っていた回路は、どちらか一方が欠ければ閉じる。

三つの現場に共通する構造——「属人的な公共性」という矛盾

花壇を手入れする町内会長、橋桁の前に立つ遺族、教壇に立つ被爆者。三つの現場は、災害・事故・戦争と、出来事の種類も時間軸も異なる。しかし、構造は驚くほど似ている。

共通するのは、「公共的な記憶が、私的な献身によって維持されている」という点だ。

これを「属人的な公共性」と呼んでみたい。本来、地域や社会全体で担うべき記憶の保持が、特定の個人の使命感・体力・時間に依存している状態。その人がいる限り記憶は生きているが、その人がいなくなった瞬間に、記憶の回路ごと消滅するリスクを常に抱えている。

なぜこうなるのか。理由のひとつは、慰霊や継承が「事業」として設計されにくいことにある。行政が予算をつけるには、目的・成果・期限が必要だ。しかし、慰霊に「成果指標」を設定することへの違和感は根深い。花壇の花が何本咲いたか、追悼に何人集まったか、講演で子どもが何を学んだか——数値化した瞬間に、こぼれ落ちるものがある。だから制度化が進まず、結果として「やりたい人がやる」構造が温存される。

もうひとつの理由は、当事者自身が「仕組み化」を望まないケースがあることだ。自分の手で花を植えること、自分の声で語ること、自分の足で現場に立つこと——その身体性そのものが慰霊の本質だと感じている人にとって、「誰かに引き継ぐ」という発想自体が、行為の意味を薄めるように映ることがある。

この二つの力学が絡み合い、「続ける人」は孤立したまま公共的な役割を果たし続ける。

仕組みは「代替」ではなく「土台」として設計できるか

では、どうすればいいのか。「若者を巻き込もう」「学校教育を充実させよう」——こうした提案は正しいが、それだけでは足りない。問題の核心は、個人の行為を「代替する人」を見つけることではなく、個人の行為が途切れても記憶の回路が残る「土台」を設計することにある。

いくつかの手がかりは、すでに存在する。

広島市の「被爆体験伝承者」制度は、被爆者本人の証言を聞き取り、研修を受けた市民が代わりに語るという仕組みだ。2024年度時点で約200人の伝承者が活動している。これは、個人の体験を「語りの技術」として制度に埋め込む試みであり、属人性を完全には排除しないまま、回路を複線化するという設計思想を持っている。

八木地区の花壇についても、たとえば町内会の年間行事として植え替えの日を設定し、複数の世帯が持ち回りで関わる形にすれば、一人の肩にかかる負荷は分散される。重要なのは、花壇の「管理」を引き継ぐのではなく、「花を植える時間」を共有する関係性を設計することだ。管理は義務になるが、共有は文化になる。

アストラムラインの事故追悼についても、広島高速交通株式会社が事業者として追悼の主催を制度化することは、検討に値する。事故の教訓を安全管理に活かすという企業の責任と、追悼の継続は矛盾しない。むしろ、事業者が「忘れない」と宣言すること自体が、社会的な信頼の基盤になる。

「続ける人」を孤立させない

最後に、ひとつだけ確認しておきたいことがある。

仕組みを設計するということは、「続ける人」の存在を否定することではない。花壇を手入れする町内会長の手の動き、友田さんの声の震え、橋桁の前で目を閉じる遺族の横顔——それらは仕組みでは再現できないし、再現すべきでもない。

仕組みの役割は、その人たちが倒れたときに記憶ごと消えてしまわないよう、土台を敷いておくことだ。そして、その人たちが「続けている間」に、一人で背負わなくていい環境をつくることだ。

属人的な献身を美談として消費するのは簡単だ。「10年間、花を絶やさなかった」「高齢でも語り続けている」——感動の物語として閉じてしまえば、構造は何も変わらない。

これは誰を楽にするか。その問いを持ったまま、仕組みを考える人が必要だ。花壇の土を触ったことがなくても、証言を聞いたことがなくても、「続ける人」の隣に立つことはできる。

記憶は、一人の背中に載せるには重すぎる。だからこそ、土台がいる——静かに、確実に、その重さを受け止める土台が。

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