新アリーナ構想、ファミリープール閉園——広島の「スポーツのまちづくり」は誰を楽にするか
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1万人のアリーナと、48年のプール
2024年夏、広島で二つの出来事が交差した。一つは、JR広島駅北口に1万人規模の新アリーナを整備する構想が動き出したこと。もう一つは、広島中央公園ファミリープールが8月31日をもって48年の歴史に幕を下ろしたこと——片方は「これから」の話で、もう片方は「もうない」という話だ。
スポーツ庁の河合純一長官は広島を訪れた際、新アリーナ構想について「スポーツ王国を目指す広島ならでは」の意義を強調し、全力で支援する意向を示した。数百億円規模の投資が見込まれるこのプロジェクトは、プロスポーツの試合やコンサート、国際大会の誘致を通じて観光客を呼び込み、地域経済を回す装置として期待されている。
だが、同じ「スポーツのまちづくり」という旗のもとで、子どもたちが水しぶきを上げていた場所は静かに消えた。この二つの事実を並べたとき、少し立ち止まって考えたくなる。——広島が進める「スポーツのまちづくり」は、誰を楽にする仕組みなのか。
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新アリーナ構想——「観る」スポーツの器をつくる
新アリーナの候補地とされるJR広島駅北口エリアは、広島駅の再開発と連動する一等地だ。広島にはすでにエディオンピースウイング広島(サッカー)やマツダスタジアム(野球)といったスポーツ施設が集積しているが、屋内型の大規模アリーナは不足しているとされてきた。Bリーグ・広島ドラゴンフライズの躍進もあり、バスケットボールをはじめとする屋内競技の観戦需要は確実に高まっている。
スポーツ庁が推進する「スタジアム・アリーナ改革」は、スポーツ施設を単なる競技場ではなく、飲食・商業・エンターテインメントを複合した「稼げる施設」に転換する方針を掲げている。河合長官の広島訪問は、まさにこの文脈の中にある。国が描く絵の中で、広島は「成功モデル」の候補地として位置づけられている。
数百億円の投資、年間数十万人の来場者、周辺の飲食・宿泊への経済波及効果——数字で語られる未来は確かに華やかだ。だが、ここで語られている「スポーツ」は、基本的に「観るスポーツ」であり、「チケットを買って座席に座る体験」である。それ自体に価値がないとは言わない。ただ、この仕組みが楽にするのは誰か、という問いは残る。
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ファミリープール閉園——「する」スポーツの場が消える
広島中央公園ファミリープールは1976年に開業した。入場料は大人でも数百円台。流水プール、幼児用プール、50メートルプールを備え、夏休みには家族連れで賑わう、広島の夏の風物詩だった。
閉園の直接的な理由は施設の老朽化と維持管理コストの増大だ。開業から半世紀近く経ち、配管や濾過設備の更新には多額の費用がかかる。広島市は中央公園一帯の再整備計画の中で新たな水辺施設の検討を進めているとされるが、具体的な完成時期は現時点で示されていない。ウォータースライダーなどのアトラクションを盛り込む構想があるとも報じられているが、それがいつ、どのような規模で、いくらの利用料で実現するのかは不透明なままだ。
ここで見落としてはならないのは、ファミリープールが担っていた機能の本質だろう。それは「低価格で、予約不要で、子どもが体を動かせる公的な場所」だったということだ。民間のスイミングスクールやレジャープールは存在するが、月謝や入場料のハードルがある。ファミリープールのように「ふらっと行ける」場所は、所得や家庭環境に関係なく子どもたちに開かれた身体活動の場だった。
閉園後、代替となる同等の施設は広島市内に見当たらない。これは単に「プールが一つ減った」という話ではない。子どもたちが日常的に体を動かす選択肢が、構造的に一つ失われたということだ。
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「遊び場難民」という言葉が生まれる背景
ファミリープールの閉園は、広島に限った話ではない。全国的に、公営プールや児童遊園の閉鎖・縮小が相次いでいる。国土交通省の調査によれば、都市公園内の運動施設は老朽化が進み、更新費用の確保が自治体の共通課題となっている。限られた予算の中で、自治体は「稼げる施設」への投資を優先しがちだ。
広島市でも、中央公園エリアはサッカースタジアム(エディオンピースウイング広島)の建設を経て大きく姿を変えつつある。スタジアム周辺の商業開発、イベント広場の整備——いずれも「人を集め、経済を回す」方向に設計されている。その流れの中で、ファミリープールのような「日常使いの、地味だが不可欠な場所」が押し出されていく構造がある。
子育て世代の間で「遊び場難民」という言葉が聞かれるようになったのは、一つの施設の閉鎖だけが原因ではない。公園の遊具撤去、校庭開放の縮小、児童館の統廃合——個々には小さな変化でも、それらが重なったとき、子どもが「無料で、自由に、体を動かせる場所」は確実に減っている。仕組みとして、子どもの日常的な身体活動を支える基盤が薄くなっている。
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二つの「スポーツ」の間にある断層
新アリーナ構想とファミリープール閉園。この二つは、同じ「スポーツのまちづくり」という言葉の中にありながら、まったく異なる層に届く施策だ。
新アリーナが届けるのは、プロスポーツの観戦体験、大型イベントの興奮、そしてそれに伴う経済効果。受益者は、チケットを購入できる層、周辺で商売をする事業者、そしてスポーツ産業に関わるプレイヤーたちだ。
ファミリープールが届けていたのは、夏の午後に子どもが水に飛び込む時間、親がベンチから見守る日陰、数百円で過ごせる半日。受益者は、特別な消費力を持たない普通の家族だった。
どちらが正しいという話ではない。だが、「スポーツのまちづくり」と銘打つ以上、この二つの層——「観るスポーツ」の経済圏と「する・遊ぶスポーツ」の生活圏——の両方に目配りがなければ、その言葉は一方にしか届かない看板になる。
スポーツ庁の「スタジアム・アリーナ改革」は、施設を「コストセンター」から「プロフィットセンター」へ転換することを掲げている。その発想自体は合理的だ。しかし、すべての公共スポーツ施設に収益性を求めれば、「稼げない」施設——つまり子どもや高齢者が日常的に使う場所——は真っ先に切り捨てられる。仕組みの設計思想そのものに、この断層が埋め込まれている。
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問われているのは「仕組みの思想」
広島市が今後、新アリーナの建設と並行して、ファミリープールに代わる水辺施設や子どもの遊び場をどう再整備するか。その具体的な計画と時間軸が示されるかどうかが、この問いの答えになる。
注目すべきポイントは三つある。
第一に、代替施設の完成時期と利用料金の設計。ファミリープール閉園から新施設の開業までの「空白期間」がどれだけ続くのか。その間、子どもたちの遊び場はどう確保されるのか。また、新施設がアトラクション型の有料レジャー施設になるのか、それとも公的な低価格施設として設計されるのかで、届く層はまったく変わる。
第二に、中央公園再整備の全体像における優先順位。サッカースタジアム、新アリーナ、商業施設——大型投資が続く中で、子どもの遊び場や市民が日常的に使える空間がどの順番で、どの規模で整備されるのか。予算配分の構造そのものが、自治体の「スポーツのまちづくり」の思想を映し出す。
第三に、住民との対話のプロセス。計画の策定段階で、子育て世代や地域住民の声がどのように反映されるのか。トップダウンの構想と、地域の日常的なニーズをつなぐ回路があるかどうか。仕組みは、使う人の声を組み込んではじめて持続する。
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「楽にする」の先にあるもの
大きな器をつくることと、日常の足元を整えること。この二つは対立するものではなく、本来は同じ「まちづくり」の中で両立すべきものだ。だが、予算も時間も有限である以上、どちらを先に、どちらをどの規模でやるかという選択は避けられない。その選択の中に、まちの思想が現れる。
1万人が歓声を上げるアリーナと、数百円で子どもが水に飛び込めるプール。どちらも「スポーツのまち」の風景だ。片方だけが残り、片方が消えたとき、その街は誰にとっての「スポーツのまち」なのか。
仕組みは、設計した人の意図よりも、そこからこぼれ落ちるものによって本質が見える。——広島の選択を、少し長い目で見ていきたい。
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JA
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