尾道の官製談合、市長減給は「軽すぎる」と否決された——水道の裏方が壊れるとき
Related Articles
尾道の官製談合、市長減給は「軽すぎる」と否決された——水道の裏方が壊れるとき
蛇口をひねれば水が出る。その当たり前を支えているのは、管を埋め、検査し、入札で業者を選び、工事の品質を確かめる——地味で長い段取りの連なりだ。尾道市で発覚した官製談合事件は、その段取りの内側に手を突っ込み、仕組みそのものを壊した。元幹部職員(70)と土木会社社長(72)に有罪判決が下り、広島地裁は「制度の信頼を害し、規範意識が低い」と断じた。そして市長が提出した自身の給与減額案は、市議会で「この減額では軽すぎる」と否決された。処分が宙に浮いたまま、水道を支える仕組みの信用だけが静かに抜け落ちている。
—
壊れたのは管ではなく「選ぶ仕組み」
官製談合とは、発注者側の職員が入札情報を特定の業者に漏らし、落札先をあらかじめ決めてしまう行為を指す。今回の事件では、尾道市の元幹部職員が土木会社社長に対し、設計金額や入札参加者の情報を事前に伝えていたとされる。
ここで少し立ち止まって考えたいのは、壊れたものの正体だ。水道管が破裂したわけではない。浄水場が止まったわけでもない。壊れたのは「誰に工事を任せるか」を決める仕組み——競争入札という制度そのものである。
公共工事の入札制度は、複数の業者が価格と技術を競い、最も条件の良い業者が選ばれることで、税金の適正な使途と工事品質の両方を担保する設計になっている。総務省の資料によれば、競争入札における落札率(予定価格に対する落札額の比率)は、健全な競争が働く場合おおむね80〜90%台に収まるとされる。談合が行われると、この落札率は95%を超えて予定価格に張り付く傾向がある。つまり、本来なら浮いたはずの数%——数百万円から場合によっては数千万円の公金が、競争なしに特定の業者へ流れる構造ができあがる。
尾道市の水道事業会計は、2023年度の給水収益がおよそ30億円規模とされる。この規模の自治体水道で入札の公正さが崩れれば、影響は一件の工事にとどまらない。「あの会社に決まっている」という空気が入札全体に広がったとき、他の業者は競争する意欲を失い、結果として地域の土木業界そのものの体力が削がれていく。
—
「軽すぎる」——否決が映し出したもの
事件を受け、平谷祐宏市長は自身の給与を3カ月間10%減額する条例案を市議会に提出した。しかし2024年12月の市議会本会議で、この議案は否決された。反対した議員の論拠は明快だった。「この程度の減額では、事件の重大さに見合わない」。
ここには二つの層がある。
一つは、処分の「相場観」の問題だ。官製談合防止法違反で職員が逮捕・起訴され、有罪判決まで出た事案に対し、首長の自主的な減給が3カ月10%というのは、他自治体の先例と比べても軽い部類に入る。過去には、同種の事件で副市長の辞任や、首長自身が50%減給を提示した例もある。数字の大小だけが問題ではないが、「これで区切りとする」という姿勢が透けて見えたとき、議会が待ったをかけたのは——少し意外だが、まっとうな反応だった。
もう一つは、否決の後に何も起きていないという事実だ。減給案が否決された以上、現時点で市長に対する具体的な処分は存在しない。辞職も、より重い減給の再提案も、第三者委員会の設置も表明されていない。否決は「軽すぎる」という判断であって「不問にする」という判断ではないはずだが、結果として処分の空白が続いている。仕組みを壊した事件に対して、仕組みによる是正が止まっている。この空白こそが、住民にとっては最も不安な状態ではないか。
—
水道・海・入札——裏方の三層構造
尾道の水道を語るとき、見落とされがちな構造がある。この街は瀬戸内海に面し、島嶼部への送水を含む複雑な給水体系を持つ。海底送水管の維持、離島の配水池の管理、塩害対策——本土の水道とは異なる固有のコストと技術が求められる。
さらに尾道海上保安部は、自治体や漁協と連携して海面の不法投棄監視パトロール(いわゆる「シーパトロール」)を実施している。海洋環境の保全は、取水源の水質に直結するため、水道事業と無関係ではない。海を守る仕組みと、管を守る仕組みと、業者を選ぶ仕組み——この三つの層が噛み合ってはじめて、蛇口の向こう側の安全が成り立つ。
官製談合が壊したのは三層目の「業者を選ぶ仕組み」だが、その影響は一層目・二層目にも波及しうる。適切な技術を持たない業者が工事を請け負えば、海底送水管の接合不良や配水池の耐塩害処理の手抜きといったリスクが生まれる。それは数年後、あるいは十数年後に「原因不明の漏水」「水質の異常」として住民の前に現れるかもしれない。インフラの不正は、被害が遅れてやってくる。だからこそ入口——入札の段階で公正さを守ることに、これほどの意味がある。
—
仕組みが壊れたあと、誰が直すのか
再発防止策として一般的に挙げられるのは、入札監視委員会の強化、電子入札の徹底、内部通報制度の整備などだ。尾道市も今後、こうした制度的な手当てを求められるだろう。
しかし制度を整えるだけでは足りない。今回の事件で浮き彫りになったのは、長年にわたって同じ顔ぶれが発注と受注の両側に座り続ける構造そのものの問題だ。元幹部職員70歳、土木会社社長72歳——この二人の関係がいつから、どのような経緯で形成されたのか。裁判記録からだけでは見えない時間の厚みがある。地方の公共事業において、人間関係と制度の境界線が曖昧になる瞬間は、おそらくどの自治体にも存在する。尾道の事件は、その境界線が完全に消えたケースだった。
市議会が減給案を否決したことは、少なくとも「形だけの処分で終わらせない」という意思表示ではあった。だが意思表示の先に、具体的な仕組みの再設計が伴わなければ、否決もまた形式に終わる。
今後注目すべきは、以下の三点だろう。
第一に、市長が改めてどのような責任の取り方を示すか。再提案か、辞職か、第三者委員会か——選択肢のどれを選ぶかに、この街の自浄能力が映る。
第二に、入札制度の具体的な改革が実行されるかどうか。外部委員を含む入札監視体制の構築、過去の入札データの検証、落札率の公開と分析——やるべきことのリストは長いが、一つひとつは地味な作業だ。その地味さに耐えられるかどうかが問われる。
第三に、住民と議会の関係だ。今回、議会は「軽すぎる」と声を上げた。この判断が住民の声を反映したものなのか、それとも政局的な駆け引きの結果なのか。住民自身がこの問題をどう受け止め、どこまで関心を持ち続けるかが、最終的には仕組みの再建を左右する。
—
裏方が静かに問いかけていること
水道事業は、うまく回っているときほど誰にも意識されない。蛇口をひねれば水が出る。その「当たり前」を維持するために、どれだけの段取りと判断と人手が費やされているか——普段は見えないし、見えなくていい。それが裏方というものだ。
だが、その裏方の仕組みが内側から壊されたとき、誰がそれに気づき、誰が声を上げ、誰が直すのか。尾道の事件は、一つの地方都市の不祥事にとどまらない問いを含んでいる。全国の自治体水道が人手不足と老朽化に直面するなかで、入札の公正さ、技術の継承、監視の仕組み——どれか一つが欠けても、蛇口の向こう側は静かに劣化していく。
広島地裁が判決文に記した「規範意識が低い」という言葉は、被告個人に向けられたものだった。しかしその言葉は、仕組みを放置した組織にも、処分の空白を埋めない政治にも、そして関心を持たなかった私たちにも、少しずつ跳ね返ってくる。
蛇口の水は、まだ出ている。だが、それを支える仕組みの信用は、一度抜けると元に戻すのにとても長い時間がかかる——水道管の漏水と同じように。
—
JA
EN