保育士の交流会、外国人の日本語教室、ひきこもりの畑——「人を支える人」を誰が支えているのか
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保育士の交流会、外国人の日本語教室、ひきこもりの畑——「人を支える人」を誰が支えているのか
保育士が子どもを見守り、ボランティア講師が外国籍の子に日本語を教え、地元農家がひきこもりの若者と畑に立つ。どの現場にも「支える人」がいる。では——その人たちを、誰が支えているのか。
広島県内の三つの支援現場を横断して見えてきたのは、善意や使命感だけでは回らない構造の話だった。人を支える仕事が続くかどうかは、個人の頑張りではなく、その裏にある仕組みの厚みで決まる。
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保育士の交流会——「楽しい職場です」の一言が担う重さ
広島市内で先日開催された「私立幼稚園・認定こども園フェス」。広島県私立幼稚園連盟が主催し、現役の保育者と保育を学ぶ学生が直接言葉を交わす交流会が行われた。参加者は約200名。学生たちはブースを巡りながら、各園の雰囲気や働き方について現場の声を聞いた。
ある保育士はこう語ったという。「みんなで和気藹々、楽しい職場です。待ってます」——短い言葉だが、この一言に至るまでに何があるかを少し想像してみてほしい。
厚生労働省の調査によれば、保育士の有効求人倍率は全国平均で約2.5倍(2023年時点)。求職者1人に対して2件以上の求人がある計算になる。保育士資格を持ちながら保育の現場に就いていない、いわゆる「潜在保育士」は全国で約95万人とされる。資格はあるのに現場に戻らない——その背景には、平均月収が全産業平均より約5万円低いとされる給与水準、長時間労働、書類業務の負担がある。
つまり、あの「楽しい職場です」は、ただの勧誘文句ではない。自分が踏みとどまっている理由を、目の前の学生に手渡そうとする言葉だ。交流会という場が機能しているのは、制度や待遇の改善だけでは埋められない「現場の温度」を伝える回路になっているからだろう。
ただし、こうしたイベントが人材確保の入口として意味を持つためには、その先の出口——つまり入職後の定着支援——が設計されていなければならない。交流会で心が動いた学生が、3年後もその現場にいるかどうか。そこまでを一つの仕組みとして見る視点が、今後の課題になる。
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外国籍児童向けの日本語教室——マンツーマンを支える見えない構造
東広島市では、外国籍の子どもたちを対象にした日本語教室が運営されている。指導はマンツーマン形式。ボランティアの日本語講師が一人ひとりの習熟度に合わせて教材を選び、週に数回、放課後の時間を使って向き合う。
東広島市は広島大学をはじめとする教育・研究機関が集まり、技能実習生や留学生の家族など外国籍住民が多い地域だ。市の統計では外国籍住民は約9,000人(2023年末時点)。子どもの数も増加傾向にあり、日本語教室への参加者は年々増えている。
マンツーマンという形式は、子どもにとっては安心できる学びの場になる。しかし裏を返せば、子ども1人に対して講師1人が必要だということだ。参加児童が50人いれば、50人の講師が要る。しかもその多くは無償のボランティアである。
ここに構造的な脆さがある。講師の高齢化、日本語教育の専門知識を持つ人材の不足、交通費や教材費といった実費の負担——こうした課題が積み重なれば、善意だけで回る仕組みはいつか限界を迎える。
2024年度から日本語教育機関の認定制度が始まり、登録日本語教員という新たな国家資格の枠組みが動き出した。この制度が地域のボランティア現場にどう波及するかはまだ見えない。だが少なくとも、「教える人」の専門性を社会が正式に認めるという方向に一歩踏み出したことは、現場を支える仕組みの土台になり得る。
問われているのは、マンツーマンで子どもに向き合う講師の背中を、誰がどんな形で支えるかだ。
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ひきこもり支援の畑作業——「週に一度、外に出る」を可能にするもの
尾道市で行われているひきこもり支援の畑作業プログラム。地元農家の指導のもと、参加者が週に一度、畑に出て土に触れる。2023年度の参加者は約30名。作業内容は季節の野菜の植え付けや収穫など、特別な技術を必要としないものが中心だ。
「家族以外の人と話したのは久しぶりだった」——ある参加者の言葉が、このプログラムの本質を物語っている。畑作業そのものが目的なのではない。土いじりという、成果が目に見え、失敗しても取り返しがつく作業を媒介にして、人との接点を回復する。そこに設計の意図がある。
内閣府の調査(2023年)では、広義のひきこもり状態にある人は全国で推計146万人。15歳から64歳の約50人に1人にあたる。この数字の重さに対して、支援の現場は圧倒的に足りていない。
尾道のプログラムを支えているのは、場所を提供する農家、送迎や声かけを行うスタッフ、活動資金を拠出する自治体や助成団体だ。参加者30名に対して、スタッフは常時5〜6名が関わるという。参加者1人あたりの年間コストは、人件費・資材費・交通費を含めると数十万円規模になると推定される。
ここでも同じ問いが浮かぶ。畑に立つ参加者を見守るスタッフの時間と労力を、誰が、どんな仕組みで支えているのか。助成金は多くの場合、単年度ごとの申請と審査を経る。来年も同じ畑に立てるかどうかは、毎年の書類一枚にかかっている——そんな綱渡りの上に、誰かの「週に一度、外に出る」が成り立っている。
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三つの現場に共通する構造——「支える人」の持続可能性
保育士の交流会、外国籍児童の日本語教室、ひきこもり支援の畑。対象も手法もまったく異なる三つの現場だが、横に並べると一つの共通構造が見えてくる。
どの現場にも「支える人」がいて、その人たちは低い報酬、不安定な資金、属人的な運営の中で踏みとどまっている。そして、その踏みとどまりを可能にしているのは、制度でも予算でもなく、多くの場合「この人がいなくなったら回らない」という個人の献身だ。
これは美談ではない。仕組みの不在を示す警告だ。
2024年度に始まった育成就労制度は、外国人材の受け入れと育成を一体的に進める新たな枠組みとして注目されている。日本語教育の制度化もその一環に位置づけられる。保育分野では処遇改善加算の拡充が段階的に進められ、ひきこもり支援では「重層的支援体制整備事業」が全国の自治体に広がりつつある。
制度は動いている。だが、制度が現場に届くまでには時間がかかる。その間を埋めているのが、交流会で「待ってます」と声をかける保育士であり、放課後にプリントを準備するボランティア講師であり、畑の畝を整える農家の手だ。
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今後の注目ポイント
三つの現場から浮かび上がる問いは、結局一つに収束する。「支える人」を支える仕組みは、どこまで設計されているか。
注目すべきは以下の三点だ。
- 保育分野:交流会のような「入口」施策と、入職後の定着支援という「出口」施策が接続されるかどうか。処遇改善の加算が現場の実感として届いているかの検証。
- 日本語教育分野:登録日本語教員制度が、地域のボランティア現場にどのような影響を及ぼすか。資格化が担い手の増加につながるのか、逆にハードルを上げるのか。
- ひきこもり支援分野:重層的支援体制整備事業の中で、畑作業のような「居場所型」の支援がどう位置づけられるか。単年度主義の助成構造に変化が生まれるか。
どれも、制度の文言だけでは答えが出ない問いだ。現場で何が起きているかを見続けることでしか、検証できない。
人を支える仕事は、放っておけば静かに消える。誰かの善意が続いているうちは問題が見えず、その人が倒れたときに初めて穴の大きさに気づく——そんな構造を、私たちはもう何度も見てきたはずだ。
仕組みは、人の代わりにはならない。けれど、人が続けられるようにすることはできる。
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JA
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