今西和男という「裏方」が残したもの——育成の仕組みは人を超えて続くか
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一人の裏方が去った後に、何が残るのか
2023年10月15日、サンフレッチェ広島の初代総監督・今西和男氏が85歳で亡くなった。訃報に際して名前を挙げた関係者の顔ぶれを見ると、少し不思議な気持ちになる。森保一・日本代表監督、風間八宏氏、久保竜彦氏——角度も時代も違う人たちが、同じ一人の裏方の名前を口にしている。
今西氏はピッチに立つ人ではなかった。メディアに大きく取り上げられる機会も多くはなかった。それでも、彼が設計した育成の仕組みは、広島という地方都市のクラブを三度のJリーグ優勝に導く土台となり、日本代表を率いる指導者を輩出する回路になった。
問いはシンプルだ——その仕組みは、設計者がいなくなった後も回り続けるのか。
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「見ていてくれた」という仕組み
今西氏の育成哲学を語るとき、しばしば「人間教育」という言葉が使われる。ただ、その中身を具体的に知るには、選手たち自身の言葉に耳を傾けるほうがいい。
元日本代表FW・久保竜彦氏は、筑前高校から18歳で広島に加入した当時をこう振り返っている。
> 「今西さんは適当にやっていた自分をいつも見ていてくれた」
この一文には、指導というより「観察」の姿勢がにじむ。技術を教え込むのではなく、まず見る。見ることで、本人も気づいていない特性を拾い上げる。久保氏の規格外の身体能力と野性的な感覚は、型にはめる指導では潰れていた可能性がある。今西氏はそれを「適当」と切り捨てず、見守ることを選んだ。
森保一・現日本代表監督もまた、今西氏の薫陶を受けた一人だ。追悼に際して「人としての根本的なことを教えていただいた」と語った森保氏は、長崎日大高校から広島に入団し、選手として、そして指導者として広島の育成ラインを歩んだ。選手から監督へ——その転身を支えた回路の起点に、今西氏の存在がある。
注目すべきは、今西氏の「見る」という行為が、個人の資質だけに依存していなかった点だ。彼はマツダSC(サンフレッチェ広島の前身)時代から、ユースチームの整備、スカウト網の構築、選手寮の運営といった仕組みづくりに注力した。Jリーグ開幕前の1990年前後、まだ多くのクラブが企業チームの延長線上にあった時代に、今西氏は「地域に根ざした育成クラブ」という設計図を描いていた。個人の眼力を仕組みに変換する——それが今西氏の本質的な仕事だった。
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三矢寮という「箱」に宿る思想
育成の仕組みを語るうえで、選手寮の存在は見過ごせない。サンフレッチェ広島のユース選手が共同生活を送る「三矢寮」は、今西氏が重視した育成環境の象徴だった。親元を離れた10代の選手たちが、生活の中で自律を学び、同世代との競争と共存を経験する場所。ピッチ上の技術だけでなく、食事、洗濯、人間関係——日常の営みそのものが育成のカリキュラムに組み込まれていた。
その三矢寮が、新たな段階に入ろうとしている。サンフレッチェ広島は新たな育成拠点「新三矢寮」の建設に着手し、地鎮祭が執り行われた。新寮は、選手の生活環境とトレーニング環境を一体的に整備する設計とされ、栄養管理やコンディショニングの機能も強化される見通しだ。
ここで少し立ち止まって考えたい。寮という「箱」を新しくすること自体は、設備投資の話にすぎない。重要なのは、その箱の中でどんな関係性が生まれるかだ。今西氏がつくった旧三矢寮の価値は、建物の新しさではなく、「生活と成長を分けない」という思想にあった。新寮がその思想を引き継げるかどうかは、設計図ではなく、日々の運営——誰が選手を見て、何を拾い上げるか——にかかっている。
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数字が語る「仕組みの強度」
育成の仕組みが本当に機能しているかどうかを測るには、感覚ではなく構造を見る必要がある。いくつかの数字を確認しておきたい。
サンフレッチェ広島の2022年度売上高は約83億円で、クラブ史上最高を記録した。2023年に開業した新スタジアム「エディオンピースウイング広島」(総工費約270億円、広島市が主導)の効果もあり、観客動員数は増加傾向にある。エディオンピースウイング広島は、旧広島市民球場跡地に建設されたサッカー専用スタジアムで、収容人数は約3万人。都心部に立地するアクセスの良さが、新たなファン層の取り込みに寄与している。
この経済的成長と育成システムの関係は、単純な因果ではないが、構造的なつながりがある。広島はJリーグの中でも「育成型クラブ」として知られ、自前で育てた選手をトップチームに送り出すサイクルを維持してきた。移籍金収入も重要な財源だ。佐藤寿人、青山敏弘、浅野拓磨——広島ユース出身、あるいは広島で才能を開花させた選手たちの活躍は、クラブのブランド価値を押し上げ、スポンサー収入や観客動員に還元されてきた。
育成にかかるコストは決して小さくない。ユースチームの運営費、スカウト網の維持、寮の運営、指導者の人件費——これらは短期的には「支出」でしかない。だが、5年、10年の時間軸で見れば、外部から高額な移籍金を払って即戦力を獲得し続けるモデルよりも、地方クラブにとっては持続可能性が高い。今西氏が設計したのは、まさにこの「時間をかけて回る仕組み」だった。
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仕組みは人を超えられるか——構造と温度の問題
今西氏の功績を振り返ると、一つの逆説に突き当たる。彼は「仕組み」をつくった人だが、その仕組みの核には、極めて属人的な「見る力」があった。選手の些細な変化に気づく観察眼、本人も自覚していない可能性を言語化する力、そして何より、長い時間をかけて人を信じる忍耐——これらは、マニュアル化しにくい能力だ。
仕組みは設計者がいなくなっても回る。それが仕組みの定義だ。だが、仕組みの中に「温度」を保ち続けることは、設計だけでは解決しない。新三矢寮がどれほど最新の設備を備えていても、そこで選手を「見る」人間の質が落ちれば、寮はただの宿舎になる。
森保一氏が日本代表監督として今西氏の理念を体現していることは、一つの希望だろう。だが同時に、森保氏は広島の現場にはいない。クラブの育成現場で今西氏の「見る文化」を日常的に実践する次の世代がいるかどうか——それが、仕組みの持続性を左右する本当の分岐点になる。
Jリーグ全体を見渡せば、育成に力を入れるクラブは増えている。川崎フロンターレ、横浜F・マリノス、鹿島アントラーズ——それぞれが独自の育成哲学を持ち、成果を上げている。その中で広島の育成が持つ固有の強みは何か。それは、今西氏が築いた「地方都市だからこそ、生活ごと育てる」という発想にある。都市部のクラブのように潤沢な資金で選手を集められない分、目の前の一人を丁寧に見る。その制約が、逆説的に育成の深度を生んできた。
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裏方の遺産は、次の裏方に引き継がれる
今西和男氏が残したものを一言でまとめるなら、「人を見る仕組み」だろう。技術でも戦術でもなく、人を見ること自体を組織の文化にした。それは華やかな功績としては語られにくいが、30年以上にわたって広島というクラブの背骨を支えてきた。
新スタジアムの歓声、過去最高の売上高、日本代表を率いる教え子——これらはすべて、裏方が設計した仕組みの上に咲いた花だ。だが、花を咲かせ続けるには、土を耕す次の裏方が必要になる。
今西氏の逝去から時間が経つにつれ、「今西さんがいたから」という記憶は薄れていく。それは避けられない。だが、仕組みが本当に仕組みとして完成しているなら、設計者の名前を知らなくても回り続けるはずだ。
問いは残る——育成の仕組みは人を超えて続くか。その答えは、今この瞬間、広島の育成現場で誰かが若い選手を「見ている」かどうかの中にある。
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