閉校した分校の茶畑を隣の学校が摘む——「引き継ぐ仕組み」は誰が設計しているのか

2022年3月、岩国高校広瀬分校が閉校した。校舎は静かになったが、敷地の茶畑はそのまま残った。茶樹は人の都合で休まない。春になれば新芽を出し、摘み手を待つ。 その茶畑に今、隣の坂上分校の生徒たちが通っている。閉校した学校の行事を、別の学校

By Rei

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2022年3月、岩国高校広瀬分校が閉校した。校舎は静かになったが、敷地の茶畑はそのまま残った。茶樹は人の都合で休まない。春になれば新芽を出し、摘み手を待つ。

その茶畑に今、隣の坂上分校の生徒たちが通っている。閉校した学校の行事を、別の学校が引き受ける——言葉にすれば一行で済む話だが、実際にそれが動くまでには、誰かが段取りを組み、誰かが「うちでやります」と手を挙げる過程がある。この記事が見たいのは、その過程のほうだ。

茶畑は残り、行事は移った

広瀬分校では長年、地域の茶農家と連携し、生徒が茶摘みを行ってきた。収穫した茶葉は地域の茶工場へ出荷され、製茶されたものは地元の直売所や学校行事で販売される。学校の授業であると同時に、地域の茶生産の一部を担う実務でもあった。

閉校が決まった時点で、この茶畑をどうするかという問題が浮上した。茶畑の維持には年間を通じた管理が必要で、放置すれば数年で荒廃する。個人の農家が引き取る選択肢もあったが、結果的に坂上分校がその役割を引き継ぐ形になった。

ここで少し立ち止まりたい。「引き継いだ」という事実の裏には、いくつもの調整がある。茶畑の管理責任はどこが持つのか。生徒の移動手段はどう確保するのか。茶工場との出荷契約は継続できるのか。教育課程の中にどう位置づけるのか——ひとつの行事を別の学校に移すとは、こうした実務の束を丸ごと移植することにほかならない。

取材の中で、坂上分校の教員はこう話した。「茶摘み自体は半日の作業です。でも、それを授業として成立させるための準備は年間を通じてある」。行事の華やかさではなく、裏側の段取りにこそ継承の本体がある。

「仕組みで残す」という設計思想

日本の中山間地域では、学校の統廃合が加速している。文部科学省の統計によれば、2002年度から2022年度の20年間で、全国の公立小中学校は約9,000校減少した。学校がなくなるとき、校舎や設備だけでなく、その学校が担っていた地域の行事・記憶・関係性も一緒に消える。

ここで重要なのは、行事の継承が「個人の善意」ではなく「制度の中の仕組み」として設計されているかどうかだ。広瀬分校の茶摘みが坂上分校に移ったのは、たまたま熱心な先生がいたからではない。岩国市の教育委員会が閉校後の地域資源の扱いについて方針を持ち、学校間の調整を行った結果だと関係者は説明する。

仕組みで残す、ということの意味を考える。個人の熱意に依存する継承は、その人が異動すれば途切れる。制度に埋め込まれた継承は、担当者が替わっても動き続ける。もちろん制度だけでは温度が失われるという批判もある。だが、温度を保つためにこそ、まず仕組みが要る。人が安心して熱を注げるのは、土台が崩れない確信があるときだ。

岩国高校の慰霊祭——もうひとつの「記憶の仕組み」

岩国市内には、学校が記憶の継承装置として機能しているもうひとつの事例がある。岩国高校で毎年行われている動員学徒の慰霊祭だ。

終戦間際、岩国は空襲を受け、勤労動員されていた学徒が犠牲になった。その追悼行事が、戦後80年近く経った今も学校行事として続いている。地元住民や卒業生も参列し、献花が行われる。

この慰霊祭が続いている理由を、関係者は「学校行事として教育課程に組み込まれているから」と説明する。つまり、校長が替わっても、教員が異動しても、カリキュラムの中に位置づけられている限り、行事は継続される。個人の記憶は薄れる。しかし制度の中に置かれた記憶は、人が入れ替わっても残る。

ここに、茶摘みの継承と慰霊祭の継承に共通する構造が見える。どちらも「学校の教育課程」という制度の中に行事を埋め込むことで、属人的な継承から制度的な継承へと転換している。角度はまったく違う——片方は農業体験、片方は戦争の記憶——だが、仕組みの設計思想は同じだ。

広島の被爆体験伝承者制度との対比

視野を少し広げると、広島市が進める「被爆体験伝承者」の育成制度にも同じ構造が見える。被爆者の高齢化が進む中、体験を直接語れる人がいなくなる日は確実に来る。広島市は2012年度から伝承者の養成を開始し、2024年時点で約200人が認定されている。

この制度が興味深いのは、「語る人」を個人の自発性だけに頼らず、研修プログラムと認定制度という仕組みの中で育てている点だ。3年間の研修を経て認定される伝承者は、被爆者本人の体験を「預かり、語る」役割を担う。記憶の所有者と語り手が分離する——その断絶を制度で橋渡しする設計になっている。

岩国の茶摘みも、慰霊祭も、広島の伝承者制度も、根底にあるのは同じ問いだ。「この記憶・この営みを、担い手がいなくなった後も残すために、どんな仕組みを用意するか」。

仕組みの限界と、それでも残るもの

ただし、仕組みにすべてを託すことへの懸念も記しておきたい。

制度化された行事は、形骸化のリスクと常に隣り合わせだ。茶摘みが「年に一度のイベント」になり、慰霊祭が「式次第を読み上げるだけの時間」になる可能性は、制度が続く限りつきまとう。仕組みは継続を保証するが、意味の更新までは保証しない。

坂上分校の生徒が、広瀬分校時代の茶摘みをどこまで「自分たちのもの」として感じているか。それは数字では測れない。しかし、取材の中でひとつ印象的な場面があった。坂上分校の生徒が、広瀬分校の元生徒から茶摘みのコツを教わる交流会が行われたという。閉校した学校の卒業生が、現役の生徒に手の動かし方を見せる。制度が用意した枠の中で、人の手から人の手へ、技術と記憶が渡る瞬間がある。

仕組みは器だ。器があるから、中身を注ぐことができる。器がなければ、どれほど豊かな中身も地面に染みて消える。

「これは誰を楽にするか」という問い

閉校した学校の茶畑を隣の学校が摘む。その事実を前にして、考えたいのは「美談かどうか」ではない。「この仕組みは誰を楽にしているか」だ。

茶畑の管理を引き受ける農家の負担を減らしている。閉校によって地域との接点を失いかけた生徒に、土地とのつながりを残している。そして何より、「あの茶畑はどうなるのか」と気にかけていた地域の人たちの不安を、静かに受け止めている。

仕組みとは、誰かの心配を減らすために存在する。個人の頑張りに頼らず、制度の中に継承を埋め込むこと。それは冷たい話ではなく、むしろ人に優しい設計だ。

全国で学校の統廃合が進む中、閉校後に何を残し、何をどこに移すかという判断は、今後ますます多くの自治体が直面する課題になる。岩国の事例は小さい。しかし、小さいからこそ見える構造がある。

茶畑の新芽は、今年も誰かが摘むのを待っている。その「誰か」が偶然ではなく仕組みによって決まっていること——それが、この話の一番温かい部分だと思う。

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