放送5局の原爆番組上映会×被爆留学生の遺族来広×高校生が描いた原爆の絵——「伝える側」が増えるほど、証言の輪郭は保てるのか
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証言者が減り、伝える人が増えている。広島でいま同時に動いている三つの取り組みを並べると、その構造がくっきりと浮かぶ——放送5局による原爆番組の合同上映会、南方特別留学生の遺族による来広、そして高校生が被爆者の言葉をもとに描く原爆の絵。いずれも「記憶を残す」ための営みだが、それぞれの距離感はまったく違う。距離が違うからこそ見えるものがある。同時に、距離が開くほど問わなければならないことがある。
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5局が「同じ場所」に並ぶという事実
広島市の原爆資料館で開催中の上映会「テレビが記録したヒロシマ」は、RCC中国放送、広島テレビ、広島ホームテレビ、テレビ新広島の民放4局にNHK広島放送局を加えた5局の共催で行われている。普段は視聴率を競い合う放送局が、原爆という主題のもとに同じスクリーンへ番組を並べる。この形式そのものが、ひとつの意思表示になっている。
上映されるのは、各局がこれまでに制作してきた被爆証言のドキュメンタリーだ。被爆者の平均年齢は85歳を超え、広島市が認定する被爆体験伝承者の制度が始まってからすでに10年以上が経つ。証言を直接聞ける時間は、年単位で縮まっている。
この上映会が意味を持つのは、「映像として残っている」という事実を改めて観客の前に置くからだ。テレビは流れる。放送は一度きりで、録画しなければ消える。だが上映会という形式をとることで、映像は「もう一度立ち止まって見るもの」に変わる。アーカイブを棚に並べるのではなく、人が集まる場に引き出す——その段取りの部分にこそ、5局が共催する仕組みの力がある。
ただし、ここで見落としてはならないことがある。映像に残っているのは「あのとき語ってくれた言葉」であって、「いま語られる言葉」ではない。証言者の多くはすでに亡くなっているか、語ることが身体的に難しくなっている。スクリーンの向こうにいる人に、観客はもう問い返すことができない。上映会は記録の価値を証明する場であると同時に、対話の不可逆性を突きつける場でもある。
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「被爆した留学生」という、見えにくい歴史の層
上映会と時期を重ねるように、南方特別留学生の遺族が広島を訪れている。南方特別留学生とは、太平洋戦争中に日本政府の国策として東南アジアから招かれ、日本の大学で学んでいた若者たちのことだ。広島に在学していた留学生の中には、1945年8月6日の原爆投下により命を落とした者がいる。マレーシアやインドネシアなど、複数の国にまたがる遺族がその歴史を語り継ごうとしている。
この事実は、原爆の被害が「日本人だけのもの」ではなかったことを示す。朝鮮半島出身の被爆者の存在は比較的知られるようになったが、南方特別留学生の被爆については、広島市民の間でも認知が十分とは言いがたい。遺族の来広は、被爆の記憶に新たな「角度」を加える行為だ。
注目すべきは、遺族が語るのは「自分が体験したこと」ではなく、「家族から聞いたこと」「家族が語れなかったこと」だという点だ。証言者本人ではなく、証言者の不在を背負った人が語る。この構造は、被爆三世・四世の世代が直面する課題と重なる。語る主体が「当事者」から「当事者の周縁」へと移っていく過程で、何が残り、何がこぼれるのか。遺族の言葉には、その問いが生のまま含まれている。
彼らの訪問を受け入れる広島の側にも、仕組みが要る。通訳、資料の整理、証言の記録、展示への接続——一度の来広で終わらせず、関係性を続けるための回路をどう設計するか。感動で終わらせないための裏方の仕事が、ここでは決定的に重要になる。
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高校生の筆が引き受けるもの
広島市立基町高校の生徒たちが、被爆者の証言をもとに原爆の絵を描く取り組みは、2007年に始まった。被爆者一人ひとりと向き合い、対話を重ねながら、その人が見た光景を絵にする。完成した作品は広島平和記念資料館に収蔵され、証言と絵が対になって展示される仕組みだ。現在、一部の作品は鳥取県の米子市立図書館でも展示されている。
この活動が持つ構造は、少し立ち止まって見る価値がある。高校生は「自分の記憶」を描いているのではない。他者の記憶を、対話を通じて自分の身体に引き受け、それを色と線に変換している。つまりここには、証言→対話→身体感覚→表現という、何層もの翻訳が入っている。翻訳のたびに何かが変わる。だが、翻訳のたびに何かが加わりもする。高校生が「この色では足りない」と悩む時間そのものが、記憶の継承の一部になっている。
米子での展示は、広島の外に絵が出ていくことの意味を問いかける。広島で見る原爆の絵と、山陰で見る原爆の絵では、受け取る側の文脈が違う。地域を越えて絵が移動すること自体が、記憶の届く範囲を広げる仕組みとして機能している。
ただし、ここにも問いは残る。高校生が描いた絵を見た人は、何を「知った」と感じるのか。絵の力に感動することと、証言の内容を理解することは、同じではない。感情が動くことと事実が伝わることの間にある距離を、展示する側がどこまで意識しているか——これは、絵を描く高校生の問題ではなく、絵を届ける仕組みの側の問題だ。
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三つの取り組みを並べて見えること
放送局の上映会は「記録を再び人前に出す」仕組み。遺族の来広は「語られなかった角度を開く」行為。高校生の絵は「他者の記憶を自分の身体で翻訳する」営み。三つはそれぞれ異なる方法で、証言者が減っていく現実に応答している。
しかし、三つを並べたとき、ひとつの構造が浮かぶ。いずれも「伝える側」の工夫であり、「伝えられる側」——つまり受け手がどう変わるかについては、まだ十分に語られていない。上映会の来場者数、展示の感想ノート、遺族との交流の記録。それらを「成果」として数えることはできる。だが、受け手の中で何が起きたのかを測る仕組みは、どの取り組みにもまだ組み込まれていない。
「伝える側」が増えるほど、伝わっているという前提が強くなる。だが、伝える回路が増えることと、伝わる深さが増すことは、自動的には一致しない。ここに、記憶の継承が抱える構造的な課題がある。
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これは誰を楽にするか
最後に、少し違う角度から問いを立てたい。これらの取り組みは、誰を楽にしているのか。
被爆者にとっては、自分の証言が映像や絵として残ることで、「語り続けなければならない」という重荷が少し軽くなるかもしれない。遺族にとっては、語る場があること自体が、長年抱えてきた沈黙を解く回路になる。高校生にとっては、描くという行為が、教科書では届かない歴史との接点を作る。放送局にとっては、競争の外に共同の意味を見出す場になる。
だが、「楽にする」ことと「引き受ける」ことは表裏だ。誰かが楽になった分だけ、別の誰かが重さを受け取っている。高校生は被爆者の記憶の重さを引き受け、遺族は「語れなかった家族」の沈黙を引き受け、放送局は「放送が終わった後も届ける」責任を引き受けている。
伝える側が増えること自体は、悪いことではない。むしろ必要なことだ。ただ、増えた回路のそれぞれが、何を引き受けているのかを見つめ続けることが、証言の輪郭を保つための唯一の方法だと思う。
証言者の声は減る。それは止められない。だが、その声が通った道筋を——誰が聞き、誰が描き、誰が映し、誰が受け取ったかという関係の網目を——丁寧にたどり直すことはできる。三つの取り組みが同じ季節に広島で重なっていること自体が、その網目の一部だ。
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JA
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