写真をカラーにする、VRで駅を建てる——「もうない場所」を再現する二つの技術と、その裏にある問い
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写真をカラーにする、VRで駅を建てる——「もうない場所」を再現する二つの技術と、その裏にある問い
白黒写真の中で笑っている少女の頬に、AIが色をのせる。VR空間の中で、まだ完成していない駅の改札をアバターがくぐる。どちらも「今はもうない場所」をデジタル技術で立ち上げる試みだ——けれど、その手つきの奥にある動機はまるで違う。
福屋八丁堀本店で8月13日から開催されている「記憶の解凍」展と、JR西日本がVRChat上でリニューアル公開した「バーチャル広島駅 2.u」。広島という同じ土地を起点にしながら、一方は過去へ、一方は未来へと手を伸ばしている。この二つを並べて見ると、「技術で何を再現するか」ではなく「誰のために、何を楽にするか」という問いが浮かび上がる。
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「記憶の解凍」展——色がつくと、他人の記憶が「自分ごと」になる
「記憶の解凍」は、被爆前後の白黒写真をAI技術と人の手でカラー化し、そこに写った人々の日常を現在に引き寄せるプロジェクトだ。東京大学在学中からこの取り組みを続けてきた庭田杏珠氏が監督を務めた映画『記憶の解凍』と連動する形で、福屋八丁堀本店では約30点のカラー化写真が展示されている。
このプロジェクトの核にある仕組みは、少し独特だ。AIがまず写真全体の色調を推定する。しかしそれだけでは終わらない。被爆者やその家族への聞き取り——「この着物は何色だったか」「この川の水はどんな色に見えていたか」——を重ね、人の記憶で色を補正していく。技術と証言の往復によって、一枚の写真が仕上がる。つまりカラー化のプロセスそのものが、記憶の継承の行為になっている。
白黒写真は、どうしても「歴史の資料」として距離を置かれやすい。モノクロームという形式自体が、見る者に「これは遠い過去の出来事だ」という無意識の枠を与える。色がつくと、その枠が少しだけ外れる。木造の家の柱の茶色、子どもの着ている服の柄、空の青——そうした細部が見えた瞬間、写真の中の人が「知らない誰か」から「自分と同じ時間を生きていた人」に変わる。
庭田氏はこれまでのインタビューの中で、被爆者の方がカラー化された写真を見て「この人が帰ってきた」と語った場面に触れている。技術が記憶を蘇らせたのではない。記憶が技術の中に注ぎ込まれ、写真がもう一度「誰かの大切な人」になった——その順序が重要だ。
被爆80年を来年に控え、証言できる当事者の数は年々減っている。広島市が公表している被爆者健康手帳の所持者数は2024年3月末時点で約10万6千人、平均年齢は85歳を超えた。「聞ける時間」には限りがある。このプロジェクトが急がれる理由は、技術の進歩ではなく、人の時間の有限さにある。
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バーチャル広島駅 2.u——「まだない場所」を先に体験させる設計
一方、JR西日本がVRChat上で公開している「バーチャル広島駅 2.u」は、まったく異なる時間軸の上に立っている。
現実の広島駅は2025年春に向けた大規模リニューアルの途上にある。路面電車の駅ビル乗り入れを含む再整備計画は、広島市の都市構造そのものを変える規模のプロジェクトだ。バーチャル広島駅は、その「まだ完成していない駅」をVR空間上に先行して構築し、ユーザーに体験させるという試みである。
2024年に実施された大規模リニューアルでは、新エリアの開通に加え、ペンツールや配信プレーヤーといったインタラクティブな機能が追加された。ユーザーはアバターで駅構内を歩き回り、壁にメッセージを書き、他のユーザーと会話できる。VRChatという既存のプラットフォームを利用しているため、専用アプリのインストールは不要で、Meta Questシリーズなどの対応デバイスがあればすぐにアクセスできる。
ここで注目すべきは、このバーチャル駅が「過去の広島駅を保存する」ためのものではないという点だ。目的は、リニューアル後の駅の姿を事前に体験させ、広島という都市への関心を物理的な距離を超えて届けること——つまり「未来の体験」を先取りさせる設計になっている。
JR西日本は近年、MaaSや観光DXの文脈でデジタル施策を積極的に展開している。バーチャル広島駅もその延長線上にあり、鉄道会社が「移動」だけでなく「移動の動機」をつくろうとしている構造が見える。VR空間で広島駅を歩いた人が、実際に広島を訪れる——その導線を設計しようとしているのだろう。
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同じ「再現」でも、手が伸びる方向が違う
二つのプロジェクトを並べてみると、技術の表層は驚くほど似ている。どちらもデジタル技術で「今ここにない場所」を可視化する。どちらも広島を起点にしている。どちらも、物理的にその場にいない人に体験を届けようとしている。
しかし、手が伸びる方向はまるで逆だ。
「記憶の解凍」は、過去に向かって手を伸ばす。もう会えない人の顔に色を戻し、もう歩けない街並みを目の前に引き寄せる。その技術が楽にするのは、「伝えたいのに伝えきれない」という当事者の切実さであり、「想像したいのに想像しきれない」という後の世代の距離感だ。
バーチャル広島駅は、未来に向かって手を伸ばす。まだ存在しない空間を先に歩かせ、「行ってみたい」という動機を生む。その技術が楽にするのは、物理的な距離や身体的な制約によって広島に来られない人たちのアクセスの壁であり、同時に、鉄道会社にとっての「関心の入口」の設計コストでもある。
——つまり、同じ「再現」という言葉の中に、まったく異なる構造の「誰を楽にするか」が埋め込まれている。
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技術の裏側にある、それぞれの「急ぐ理由」
もう一つ、見落とせない違いがある。時間に対する切迫感の質だ。
「記憶の解凍」が急ぐのは、証言者がいなくなるからだ。色の記憶を持つ人がいなくなれば、AIが推定した色を検証する手段そのものが失われる。このプロジェクトのタイムリミットは技術の寿命ではなく、人の寿命によって決まっている。
バーチャル広島駅が急ぐのは、リニューアルという事業スケジュールがあるからだ。駅ビルの完成前にバーチャル空間で関心を醸成し、開業時の集客につなげる。こちらのタイムリミットは事業計画によって決まっている。
どちらの「急ぎ」が重いかという話ではない。ただ、技術を動かしている力の源が「人の有限さ」なのか「事業の時間割」なのかで、プロジェクトの手触りはまったく変わる。その違いを見ずに「デジタルで再現」とひとくくりにすると、大切なものを取りこぼす。
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今後の注目点——二つの試みが交差する可能性
今後、この二つのアプローチが交差する瞬間があるとすれば、それは「カラー化された被爆前の広島の街並みを、VR空間上に三次元で再構築する」といった試みだろう。すでに長崎では、被爆前の街をVRで再現するプロジェクトが進行している。技術的にはその延長線上にある。
しかし、そこで問われるのは技術の精度ではなく、「誰の記憶を、誰が、どんな責任のもとに再現するのか」という倫理の設計だ。AIが推定した色を証言で補正するという「記憶の解凍」の慎重な手続きは、記憶の扱いに対する一つの倫理的な回答でもある。VR空間の自由度が上がるほど、その慎重さの価値は増していく。
広島という土地が抱える時間の重層性——80年前の記憶と、来年完成する新しい駅——を、デジタル技術がどう扱うか。その手つきの中に、技術と人の関係のこれからが見える。
二つのプロジェクトは、どちらも「もうない場所」に手を伸ばしている。ただし片方の手は、もう会えない人の温もりを探している。
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