27年前の土石流、今年のため池決壊、初のレベル4警報——広島の「水害の記憶」は仕組みに変わったか
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80人の黙祷と、同じ週に鳴った警報
2023年6月29日、広島市佐伯区の河内公民館に約80人が集まった。遺族、地元住民、そして地域の小学生たち。27年前——1996年6月29日の豪雨で発生した土石流は、広島市内で32人の命を奪った。追悼式は毎年この日に行われる。花を手向け、黙祷を捧げ、「忘れない」と口にする。その営みが27回、繰り返されてきた。
だが今年、追悼の場に立つ人々の背中には、もうひとつの現実が重なっていた。同じ6月、広島県内で初めてレベル4相当の土砂災害警戒情報が発令された。福山市では農業用ため池が決壊し、周辺住宅に水が流れ込んだ。記憶を語る日に、記憶と同じ構造の災害が起きている——その符合が問いかけるのは、「27年間で何が変わったのか」ではない。「27年間で変わったものは、誰を楽にしたのか」だ。
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数字が語る「変わったもの」
広島県は、土砂災害警戒区域・特別警戒区域の指定数が全国最多である。国土交通省の公表データによれば、2023年3月時点で広島県内の土砂災害警戒区域は約49,000箇所、うち特別警戒区域は約38,000箇所に上る。全国の総指定数約69万箇所のうち、広島県だけで約7%を占める計算になる。
この数字は、広島の地形——花崗岩が風化した「まさ土」の斜面が住宅地のすぐ裏に迫る構造——を反映している。と同時に、1999年の広島豪雨災害(死者31人)、2014年の広島市安佐南区・安佐北区の土砂災害(死者77人)、2018年の西日本豪雨(広島県内の死者114人)と、繰り返された被害のたびに制度が動いてきた結果でもある。
2001年に施行された土砂災害防止法。2014年の改正で基礎調査結果の公表が義務化された。警戒区域の指定は、不動産取引時の重要事項説明にも反映される。つまり、「ここは危ない」という情報が、行政の内部文書から住民の生活判断に届く仕組みへと、少しずつ回路が開かれてきた。
2019年からは、5段階の警戒レベルが導入された。レベル4は「危険な場所から全員避難」。今年6月に広島県内で初めてこのレベル4が発令されたことは、制度が「使われた」という意味で、仕組みが動いた証拠ではある。
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仕組みは動いた。では、届いたのか
しかし、仕組みが存在することと、それが人の行動を変えることの間には、まだ距離がある。
内閣府の「避難に関する意識調査」(2022年)によれば、「警戒レベル4で避難する」と回答した人は全体の約38%にとどまる。「自分の住む場所がどの警戒区域に該当するか知っている」と答えた割合も半数を下回る。仕組みは整った。だが、仕組みと人の間に「自分ごと」として受け取る回路が十分に通っているとは言いがたい。
今年の福山市のため池決壊は、その回路の弱さを別の角度から浮き彫りにした。農林水産省の調査では、全国に約15万箇所あるため池のうち、防災重点農業用ため池に指定されているのは約55,000箇所。広島県内には約19,000箇所のため池があり、これは全国で3番目に多い。2018年の西日本豪雨では県内で32箇所のため池が被災し、うち決壊したものもあった。その教訓から、2019年に「農業用ため池の管理及び保全に関する法律」が施行され、届出制度やハザードマップの作成が進められてきた。
だが、ため池の多くは江戸時代から続く農業用水の遺産であり、管理者が高齢化・不在化しているケースが少なくない。届出はされた。ハザードマップも作られた。しかし、その情報が下流の住民の「今夜の判断」に届いているかどうか——ここに、仕組みの設計と実態のズレがある。
制度をつくることは、建物の骨組みを立てることに似ている。骨組みだけでは雨は防げない。壁を張り、窓を入れ、人が住んで初めて「家」になる。広島の防災制度は、骨組みとしては全国でも先進的だ。問題は、壁と窓——つまり、制度と住民の日常をつなぐ中間の層——がまだ薄いことにある。
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追悼式に並んだ小学生という「中間の層」
河内公民館の追悼式に、地元の小学生が参加していたという事実に、少し立ち止まりたい。
27年前の災害を直接知らない子どもたちが、花を手向け、黙祷する。その行為自体は象徴的なものかもしれない。だが、この場に立つことで生まれるものがある。「自分の住む場所で、かつて人が亡くなった」という身体的な実感。それは、ハザードマップの色分けでは伝わらない種類の情報だ。
広島市では2015年度から、市内全小中学校で「ひろしまマイ・タイムライン」の作成が推進されている。これは、児童・生徒が家族と一緒に、自宅周辺のリスクを確認し、災害時の行動を時系列で計画するものだ。教室で地図を広げ、「うちの裏の山はどの区域か」を調べる。親に「避難所はどこか知ってる?」と聞く。その問いが、家庭の中に防災の会話を生む。
これは、制度と住民の間をつなぐ「中間の層」の設計にほかならない。追悼式に立つ小学生と、教室でタイムラインを書く小学生は、同じ子どもたちだ。記憶の継承と、仕組みの実装が、同じ人の中で重なる。その重なりにこそ、27年間の蓄積の意味がある。
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「記憶」と「仕組み」の間にあるもの
広島の水害史を振り返ると、ひとつの構造が見える。災害が起きるたびに、法律ができ、区域が指定され、警報の仕組みが更新される。1996年、1999年、2014年、2018年——それぞれの年号に、それぞれの制度改正が対応している。日本の防災行政は、犠牲の上に仕組みを積み上げてきた。その事実を否定する人はいない。
だが、仕組みは「次の犠牲を減らす」ためにある。減らせたかどうかは、仕組みの存在ではなく、仕組みが届いた先で何が起きたかで測られる。
今年のため池決壊では、幸いにも人的被害は報告されていない。レベル4警報の発令時にも、大きな被害には至らなかった。「被害が出なかった」という結果を、仕組みが機能した証拠と見るか、たまたま運がよかっただけと見るか。その判断は、次の雨が降るまでに何を準備するかで決まる。
広島県が今後取り組むべき課題は、大きく三つに整理できる。
第一に、ため池の管理体制の実効性の確保。届出制度の形式的な運用ではなく、管理者不在のため池に対する行政の直接関与や、下流住民への定期的なリスク情報の提供が求められる。
第二に、警戒レベルと住民行動の接続。レベル4が「全員避難」を意味することを知っている人と、知っていても動かない人の間にある壁を、どう溶かすか。ここには情報伝達の技術だけでなく、地域コミュニティの中での声かけや、要配慮者の把握といった人的ネットワークの厚みが必要になる。
第三に、記憶の継承と制度の接続。追悼式は「忘れない」ための場であると同時に、「次に備える」ための起点でもある。その二つの機能を意識的につなぐ設計が、今後の追悼のあり方に求められる。
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27年分の問い
1996年の土石流で亡くなった32人の名前を、今の広島の子どもたちは知らない。それは自然なことだ。だが、その32人の命が動かした制度の中に、今の子どもたちは暮らしている。警戒区域の線引きも、警報のレベル分けも、追悼式の存在も——すべては、あの日の雨から始まった仕組みの連なりだ。
仕組みは、記憶を制度に変換する装置である。しかし、制度だけでは記憶は伝わらない。記憶が伝わらなければ、制度は形骸化する。その循環を止めないために、毎年6月29日に80人が集まり、花を手向け、黙祷する。
河内公民館に並んだ小学生たちが、いつか親になり、自分の子どもに「この場所で何があったか」を語る日が来るかもしれない。そのとき、語られる言葉の中に、仕組みへの信頼があるかどうか——それが、27年分の問いへの答えになる。
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JA
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