被爆者名簿に刻まれた名前、ウクライナの星空、75時間の祈り——「継承」の回路は一本道ではない
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一人の研究者が名簿に加わる。異国の解説員が星空を映す。二つの都市が75時間、祈りでつながる——被爆体験の「継承」は、いつの間にか直線ではなく、回路になっていた。
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森重昭さんの名前が、名簿に刻まれるということ
2025年8月6日、広島市は原爆死没者名簿に新たな名前を加えた。その中に、歴史研究家・森重昭さんの名がある。
森重さんの名を記憶している人は少なくないだろう。2016年5月、現職の米国大統領として初めて広島を訪れたバラク・オバマ氏と、平和記念公園で抱擁を交わした——あの場面の当事者だ。だがあの瞬間は、突然生まれたものではない。森重さんは6歳で被爆した後、数十年にわたり、広島で命を落とした米兵捕虜12人の身元と最期を独力で調査し続けた人物である。敵味方の区別なく「ここで死んだ人間」の記録を掘り起こす——その執念が、大統領との対面という一点に結実した。
2023年に92歳で亡くなった森重さんの名前が名簿に記帳されたことは、単なる行政手続きではない。広島市が毎年8月6日の平和記念式典で慰霊碑に奉納するこの名簿には、2024年時点で累計33万9227人の名前が記されている。一人ひとりの名前が加わるたびに、名簿はわずかに厚みを増す。その物理的な重さの変化こそが、「忘れない」という意思の具体的な形だ。
森重さんが遺したものの本質は、被爆体験を「語る」ことだけにあるのではない。記録を掘り、事実を突き合わせ、名前のない死者に名前を返す——その地道な裏方仕事が、結果として国境を越えた対話の土台をつくった。仕組みとしての記録が、感情の回路を開いた。その構造に、少し目を留めておきたい。
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ウクライナの星空が、広島で映し出されるとき
同じ広島で、もう一つの回路が動いている。
ウクライナ出身の星空解説員が、広島市内で星空投影会を開催した。プラネタリウムの小さなドームの中で、ウクライナの夜空が映し出される。解説員は、自国の星座の呼び名や、星にまつわる民話を語りながら、ときおり言葉を止める。「いま、私の故郷では、この星空を安心して見上げることができません」——その一言が、暗いドームの中に落ちたとき、観客の呼吸が少し変わる。
星空というテーマは、一見すると被爆体験の継承とは遠い場所にある。しかし、この投影会が広島で行われることの意味は、距離の近さにこそある。空襲と原爆で焼かれた街で、いま戦火の下にある国の星空を見る。時代も場所も異なるのに、「頭上の空が安全ではない」という感覚が重なる瞬間がある。
これは「平和の架け橋」といった大きな言葉で括る前に、もう少し丁寧に見たい現象だ。解説員は平和活動家ではない。星の専門家である。専門の角度が違うのに、広島という場所に立つことで、語りの文脈が変わる。聞く側の受け取り方も変わる。意図して設計された「継承プログラム」ではなく、場所と人と専門が噛み合ったときに生まれる偶発的な共鳴——それもまた、継承の一つの形だろう。
参加者の一人はこう話した。「原爆の話を聞きに来たわけではなかった。でも、ウクライナの星空を見ているうちに、祖母が話していた広島の空のことを思い出した」。入口は星空だった。出口は、家族の記憶だった。回路は、思いもよらない場所でつながる。
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75時間——広島と長崎を祈りでつなぐ時間の設計
8月6日午前8時15分、広島に原爆が投下された時刻。8月9日午前11時2分、長崎に原爆が投下された時刻。この二つの瞬間の間には、およそ75時間の隔たりがある。
「75時間の祈り」は、この時間的距離をそのまま使い、広島の投下時刻から長崎の投下時刻まで途切れることなく祈りをつなぐ取り組みだ。参加者はオンラインと現地の両方から加わり、リレー形式で祈りの時間を受け渡していく。過去の開催では国内外から約5000人が参加したとされる。
この企画の設計思想に、少し注目したい。75時間という数字は、象徴的に選ばれたものではない。歴史的事実——二つの都市が被爆した時刻の差——から導かれた、動かしようのない時間だ。その「動かせなさ」が、この祈りに独特の重力を与えている。参加者は、自分が祈っている時間が、1945年のあの3日間のどの瞬間に対応しているかを意識しながら過ごすことになる。8月7日の深夜に祈っている人は、80年前のその時刻に、広島が燃え続け、長崎がまだ日常の中にいたことを知っている。時間軸の中に身を置くことで、「過去の出来事」が「いま経過している時間」に変わる。
これは、仕組みの力だ。個人の感情や意志の強さに頼るのではなく、時間という構造そのものが、参加者の意識を歴史に接続する。誰かが途中で眠っても、別の誰かが祈りを引き継ぐ。個人の限界を仕組みが補い、75時間という持続が全体の意味を生む。一人では背負えない時間を、回路として分かち合う設計——そこに、継承のもう一つの可能性がある。
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「継承」は誰を楽にするか
三つの出来事を並べてみる。
森重昭さんの名簿記帳は、「記録する」という行為による継承だ。個人が数十年かけて積み上げた調査が、公的な名簿という仕組みに接続され、個人の死後も残り続ける回路になった。
ウクライナ人解説員の星空投影は、「異なる専門が交差する」ことによる継承だ。平和教育の文脈ではなく、星という普遍的な入口から、聞く人それぞれの記憶へとつながる回路が開かれた。
75時間の祈りは、「時間の構造を共有する」ことによる継承だ。個人の感情に依存せず、歴史的事実が刻んだ時間そのものを回路にして、複数の人間が同じ時間軸の中に立つ仕組みをつくった。
どれも、「被爆体験を語れる人が減っていく」という現実に対する応答だ。しかしその応答の仕方は、一本道ではない。記録、交差、時間設計——角度が違うのに、向かっている先は同じだ。
被爆80年を迎える2025年、広島市が把握する被爆者健康手帳の所持者は約10万6000人、平均年齢は85歳を超えた。証言を直接聞ける時間は、確実に短くなっている。だからこそ、継承の回路は複数あったほうがいい。一つが途切れても、別の回路が生きていれば、記憶は流れ続ける。
「これは誰を楽にするか」と問うなら、答えはこうだ——まだ生まれていない世代を、楽にする。語り部がいなくなった後の世界で、歴史に触れる入口が一つしかなければ、その入口を見つけられなかった人は永遠にたどり着けない。入口が複数あること、回路が網目状であること自体が、未来の誰かにとっての救いになる。
名簿に刻まれた名前、ドームに映るウクライナの星、75時間をつなぐ無数の手——継承の回路は、いま静かに枝分かれしている。その枝の一本一本に、まだ会ったことのない誰かの手が届く日が来る。
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JA
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