民泊家庭が消えた江田島、観光アンバサダー100人募集——「人が来る仕組み」と「受け入れる人」のズレが問いかけるもの
Related Articles
広島湾に浮かぶ人口2万人弱の島に、100人の「語り手」を外から集めようとしている——その計画だけを聞けば、勢いのある観光施策に見える。だが現地を少し歩けば、かつて修学旅行生を泊めていた民家の玄関先に「休業中」の貼り紙が残り、港の待合所では昼を過ぎると人影がまばらになる。江田島市がいま直面しているのは、「発信する声」を増やす前に、「受け止める手」が足りないという、仕組みと人の根本的なズレである。
民泊ホストが消えた5年間
江田島市の体験型観光を長く支えてきたのは、農家や漁師の家庭が修学旅行生を受け入れる「教育民泊」だった。ピーク時には市内で約80軒の家庭がホストとして登録され、年間延べ1万人を超える中高生が島に泊まった。子どもたちは漁網の修繕を手伝い、夕食の魚をさばき、ホスト家庭の食卓を囲む。観光というより「暮らしの共有」に近い仕組みだった。
それが、2020年のコロナ禍で一変する。修学旅行の中止や延期が相次ぎ、受け入れはほぼゼロに。収入が途絶えただけではない。ホストの多くは60代後半から70代で、感染リスクへの不安から「もう再開しない」と決めた家庭が続出した。市の担当者によれば、2024年時点で稼働可能なホスト家庭は20軒を下回り、ピーク時の4分の1以下にまで縮んだ。稼働率も、かつての30%前後から10%を切る水準に落ち込んでいるとされる。
数字だけを見れば「宿泊施設の減少」だが、失われたのは施設ではなく、人の営みそのものだ。漁師のおじいさんが朝4時に子どもを船に乗せる、農家のおばあさんが方言で野菜の名前を教える——その一つひとつが「江田島に泊まる理由」だった。ハードではなくソフトが消えた。ここが、単純な宿泊キャパシティの問題と異なる点である。
フリースクール生の受け入れ——需要の「質」を変える試み
この空白を埋めようとする動きのひとつが、フリースクール生の受け入れだ。不登校の子どもたちが島に滞在し、地域の自然や文化の中で学ぶプログラムが試行されている。修学旅行のように一晩で帰る短期滞在ではなく、数日から数週間にわたる中長期の滞在を想定している点が従来と異なる。
興味深いのは、この仕組みが「観光」の枠組みから少しずれていることだ。フリースクール生にとって島は観光地ではなく、学びと回復の場である。受け入れるホスト家庭にとっても、大人数を一晩で回す修学旅行とは違い、一人の子どもとじっくり向き合う関係性が求められる。ある受け入れ家庭の女性はこう話したという。「修学旅行の子は楽しそうに帰っていくけど、フリースクールの子は最初、目を合わせてくれんのよ。でも3日目くらいに、台所に立ってくれる子がおる。そのときが一番うれしい」。
ただし、この転換には課題がある。フリースクール側が求める安全管理や心理的配慮の水準は高く、ホスト家庭に求められるスキルも変わる。市とフリースクールの連携体制はまだ試行段階にあり、受け入れ可能な家庭は限られている。需要の「質」を変えることで新たな価値を生もうとする方向性は理にかなっているが、それを支える人と仕組みの整備は、まだ道半ばだ。
観光アンバサダー100人——「発信」が先に走るとき
一方、市が打ち出したもうひとつの柱が、観光アンバサダー100人の募集である。地元住民に限らず、島に関心を持つ人々を広く募り、InstagramやX(旧Twitter)などSNSを通じて江田島の魅力を発信してもらう。自治体主導のアンバサダー制度は全国各地で導入が進んでおり、江田島市もその流れに乗った形だ。
仕組みとしては理解できる。観光庁の調査によれば、旅行先の選定にSNSの口コミが「大きく影響する」と回答した20〜30代は6割を超える。個人の体験談が旅行ガイドより信頼される時代に、100人の発信者を持つことは、広告費に換算すれば年間数百万円規模の効果を持ちうる。
しかし、ここで立ち止まりたい。100人が「来てよかった」と発信した先に、来た人を受け止める場所と人は、いまの江田島にあるのか。宿泊施設はピーク時の4分の1。飲食店も高齢化で閉店が相次ぎ、島内で夕食をとれる店は限られている。発信が成功して人が来れば来るほど、受け入れ側の薄さが露呈するリスクがある。
全国の類似事例を見ても、SNS発信で一時的に注目を集めながら、受け入れ体制が追いつかず「期待外れ」の口コミが広がるケースは少なくない。発信と受容のタイムラグ——これが、仕組みとしての最大の弱点だ。
構造的なズレ——「来る仕組み」と「いる人」の時間軸
ここまで見てきた二つの施策——フリースクール生の受け入れと観光アンバサダー——は、実は時間軸がまったく異なる。
フリースクール生の受け入れは、少人数・長期滞在で、効果が出るまでに年単位の時間がかかる。一方、アンバサダーによるSNS発信は、バズれば数日で数万人にリーチする即効性を持つ。前者は「受け入れる人」を育てる施策であり、後者は「人が来る仕組み」をつくる施策だ。この二つが同時に走っていること自体は悪くない。問題は、速度が合っていないことにある。
江田島市の人口は2024年時点で約2万人を割り込み、高齢化率は40%を超える。観光業に新たに従事できる人材は限られており、島外からの移住者を呼び込むにしても、住居や雇用の受け皿づくりには時間がかかる。市の一般会計予算は約150億円規模だが、観光関連に割ける予算は限られ、大規模なインフラ投資は現実的ではない。
つまり、「来てほしい」という仕組みは比較的早くつくれるが、「来た人を受け止める」という営みは、人の暮らしの速度でしか育たない。このズレを認識したうえで施策を設計しなければ、発信だけが空回りする構造に陥る。
問いの在処——これは誰を楽にするか
江田島の取り組みを「成功するか、失敗するか」で評価するのは、少し違うと思う。問うべきは、この仕組みは誰を楽にするのか、ということだ。
アンバサダー制度が発信者の自己表現の場になるだけなら、島の暮らしは変わらない。フリースクール生の受け入れが行政の実績づくりに終わるなら、ホスト家庭の負担が増えるだけだ。どちらの施策も、最終的に「島で暮らし続ける人」の日常に何かを返せるかどうかが、持続の分岐点になる。
かつて80軒の家庭が修学旅行生を受け入れていたとき、それは「観光政策」ではなく「隣の子を預かる延長」だったと、ある元ホストは振り返る。子どもが来れば台所が忙しくなり、近所から野菜が届き、翌朝は港まで見送る。その一連の動きが、島の日常に組み込まれていた。仕組みが人の暮らしの中に溶けていた——それが、かつての江田島の受け入れの強さだった。
いま必要なのは、新しい仕組みをつくることだけではない。仕組みが暮らしに溶ける速度を、待てるかどうかだ。100人のアンバサダーが発信する言葉の先に、台所に立つ誰かがいる——その接続が見えたとき、江田島の観光は再び体温を持つ。
—
JA
EN