柿がビールになり、デラウェアが出荷され、酢蔵が440年——尾道の「捨てないで使い切る」経済圏

尾道の「捨てないで使い切る」経済圏 坂の町に、捨てられかけたものが戻ってくる仕組みがある。 山の斜面で誰にも採られなくなった柿が、醸造所のタンクに入る。小粒で地味なデラウェアが、初夏の市場へ送り出される。440年以上続く酢蔵は、今も木桶

By Rei

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尾道の「捨てないで使い切る」経済圏

坂の町に、捨てられかけたものが戻ってくる仕組みがある。

山の斜面で誰にも採られなくなった柿が、醸造所のタンクに入る。小粒で地味なデラウェアが、初夏の市場へ送り出される。440年以上続く酢蔵は、今も木桶の中で菌を育てている——広島県南東部の港町・尾道で起きていることを並べると、ひとつの輪郭が浮かぶ。「捨てないで使い切る」という、古くて静かな経済の回し方だ。

派手な再生ストーリーではない。けれど、それぞれの現場を少し丁寧に見ると、人と土地の間に残っている仕組みの厚みが見えてくる。

放置柿がサワービールになるまで

尾道市の北部、山あいの集落を歩くと、柿の木が目につく。かつて農家の軒先や畑の端に植えられたそれらは、高齢化と担い手不足で収穫されなくなり、熟した実がそのまま地面に落ちる。落果は獣を呼び、イノシシや猿の出没が増える——放置柿は「迷惑な存在」になりつつあった。

この柿に目をつけたのが、尾道市内のクラフトビール醸造所だ。渋柿を含む未利用の柿を仕入れ、サワービールの副原料として仕込む取り組みを始めた。サワービールは乳酸菌由来の酸味を活かすスタイルで、柿のタンニンと果実味が独特の奥行きを生む。1本あたり600〜700円台。地元の飲食店や観光施設で提供され、「尾道土産」としての認知も少しずつ広がっている。

ここで注目したいのは、原料調達の構造だ。放置柿の「収穫」は、地元のボランティアや福祉作業所が担うケースがある。つまり、醸造所が柿を買い取ることで、山の管理・鳥獣被害の軽減・福祉的就労の場づくりが同時に動く。ひとつの商品が複数の課題をまたいでいる——この「噛み合い方」が、単なる地ビールの話にとどまらない理由だ。

ただし、事実として押さえておくべきこともある。放置柿の総量に対して、ビール醸造で消費できる量はまだごく一部にすぎない。鳥獣被害の根本的な解決には至っておらず、あくまで「入口のひとつ」という段階だ。仕組みが回り始めたことと、問題が解決したことは違う。その距離感を見誤らないほうがいい。

デラウェア——小粒の葡萄が支える夏の経済

6月、尾道市木ノ庄町のJA尾道市からデラウェアの出荷が始まる。尾道のデラウェアは、瀬戸内の温暖な気候と水はけのよい傾斜地で育ち、糖度が高く粒離れがよい。2023年の出荷では「甘みが十分で粒が小さく食べやすい」と市場から評価を受けた。1kgあたりの出荷価格はおよそ1,200円前後。巨峰やシャインマスカットと比べれば地味な品種だが、尾道の農家にとっては初夏の重要な収入源であり続けている。

しかし、その現場は楽観できる状況ではない。燃料費の高騰は加温ハウスの運用コストを直撃し、段ボールや包装資材の値上がりも重なる。農家の手取りは年々圧縮されている。さらに、デラウェア自体が全国的に生産量を減らしている品種でもある。栽培に手間がかかる割に単価が上がりにくく、後継者が別の品種に切り替える動きも少なくない。

それでも尾道でデラウェアが残っているのは、「この土地で、この品種が合っている」という農家の実感があるからだろう。傾斜地の小さな圃場では大規模化が難しく、むしろ小粒で手摘みのデラウェアが地形に合う。土地の制約が、結果として品種の継続を支えている——これは効率化の論理とは別の回路で動いている経済だ。

440年の酢蔵が伝えること

尾道には、創業から440年以上を数える酢の醸造蔵がある。木桶で酢酸菌を育て、時間をかけて発酵させる伝統製法を今も守る。効率だけを考えれば、ステンレスタンクと温度管理で短期間に仕上げるほうが合理的だ。しかし、木桶には長年住み着いた菌叢があり、その蔵でしか出せない味が生まれる。

この酢蔵の存在は、尾道の「使い切る」思想の時間軸を示している。柿のビールが数年単位の取り組みだとすれば、酢蔵は数百年単位の持続だ。菌を絶やさず、桶を直しながら、同じ場所で同じものをつくり続ける。それ自体がひとつの経済行為であり、地域のインフラでもある。

短期で成果が見える循環と、数世代をまたぐ持続。この二つの時間軸が同じ町の中に共存していることが、尾道の経済圏の奥行きをつくっている。

ゆめマート閉店——買い物動線が変わるとき

2026年5月31日、尾道市内のイズミ「ゆめマート」が閉店する。地域住民にとって日常の買い物拠点だった店舗がなくなることで、買い物動線は否応なく変わる。

この変化が「捨てないで使い切る」経済圏にどう作用するかは、まだわからない。ひとつ考えられるのは、地元の小規模店舗や農産物直売所への来客が増える可能性だ。直売所には、規格外の野菜や少量多品種の農産物が並ぶ。大手スーパーの棚には載らなかったものが、動線の変化によって人の目に触れる機会を得る——そういう回路が生まれるかもしれない。

ただし、これは期待であって予測ではない。閉店が買い物弱者の増加につながるリスクも同時に存在する。高齢者の多い地域では、移動手段の確保や配達の仕組みが整わなければ、「近くの直売所」すら遠い。仕組みが人を楽にするのか、それとも負担を移し替えるだけなのか——その分岐点はこれからだ。

「使い切る」は美談ではなく、構造の話

放置柿、デラウェア、440年の酢蔵、そして変わる買い物動線。これらを並べたとき見えてくるのは、「もったいない精神」のような情緒ではなく、土地の制約の中で資源を回す構造の話だ。

坂が多く平地が少ない。大規模農業には向かない。人口は減り、大手資本の撤退も進む。その条件の中で、小さな単位の経済が噛み合うことで町が回っている。柿を拾う人がいて、醸造する人がいて、それを飲む人がいる。デラウェアを育てる農家がいて、傾斜地という地形がその品種を残している。酢蔵の菌は、人が絶やさなかったから440年生きている。

どれも、誰かひとりの英雄的な努力ではない。仕組みと土地と時間が絡み合って、ようやく成り立っている。そして、その仕組みは常に壊れやすい。担い手がひとり減れば止まるし、コストが少し上がれば採算が合わなくなる。

尾道の「捨てないで使い切る」経済圏は、美しいモデルケースである前に、綱渡りの現場でもある。だからこそ、見ておく価値がある。

壊れやすいものを回し続けている人たちの手つきの中に、この先の地域経済のヒントが——少しだけ、確かに見える。

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