小イワシ漁が過去5年最高値、シラスは水揚げ200キロで赤字——同じ瀬戸内の海で「回る漁」と「回らない漁」を分けた構造
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同じ海、同じ朝——けれど港の空気はまるで違う
6月、広島湾。夜明け前の港に、小イワシ漁の船団が戻ってくる。甲板に積まれた銀色の魚体が、競り場の照明を受けて光る。初競りの結果は、1キロあたりの単価で過去5年間の最高値。仲買人の声が飛び交い、漁師の表情にも少し余裕がある。
その同じ瀬戸内海で、シラス漁の船が静かに帰港する。解禁初日の水揚げは約200キロ。ある漁師は「200キロでは燃油代も出ん」と言った。笑顔はない。
同じ海域、同じ季節、同じ朝に出港した船が、まったく異なる現実を持ち帰る。この差は、個人の腕や運ではなく、漁を取り巻く「構造」の違いから生まれている。資源量、コスト構造、流通経路、価格転嫁の可否——いくつかの条件が噛み合うか否かで、漁業の持続可能性は決定的に分かれる。
小イワシ漁——「地産地消の短距離回路」が回っている
広島における小イワシ(カタクチイワシの幼魚〜若魚)は、単なる水産物ではない。刺身、天ぷら、南蛮漬け——夏の食卓に欠かせない郷土の味覚であり、広島市民にとっては「夏が来た」という季節の合図でもある。
今年の好調を支えているのは、まず資源量の安定だ。瀬戸内海では近年、栄養塩管理の見直しや藻場再生といった取り組みが進み、小イワシの漁場環境は比較的良好に保たれている。水温や潮流の条件も重なり、群れの回遊が漁場にうまく入ったとみられる。
しかし、資源があるだけでは価格はつかない。小イワシ漁の強みは、漁獲から消費までの距離が極めて短い「短距離回路」にある。
早朝に水揚げされた小イワシは、その日のうちに広島市内の市場やスーパーマーケットの鮮魚コーナーに並ぶ。鮮度が命の魚だからこそ、地元で獲れて地元で食べる——この回路が成立する地理的条件がある。冷凍・加工の工程を経ずに消費者の手に届くため、中間コストが抑えられ、漁師の手取りと消費者の支払いの間にある「見えない距離」が短い。
加えて、広島の消費者には小イワシを生で食べる文化が根づいている。これは全国的に見れば珍しいことだ。カタクチイワシを刺身で出す地域は限られる。つまり、需要そのものが地域固有の食文化によって下支えされている。代替品が少なく、季節性が高いからこそ、初競りで高値がつく。
この構造を整理すると、こうなる。
- 資源:安定した回遊と漁場環境
- 流通:漁獲当日に届く短距離回路
- 需要:地域固有の食文化に支えられた根強い消費
- コスト:加工・冷凍を経ないため中間費用が少ない
四つの歯車が噛み合い、「回る漁」になっている。
シラス漁——コストと価格の間で、歯車が空転する
シラス漁の構造は、小イワシとは対照的だ。
シラス(主にカタクチイワシの仔魚)は、瀬戸内海沿岸の各地で水揚げされ、釜揚げやちりめんじゃこに加工されて流通する。広島県の音戸や倉橋といった地域は、ちりめんの産地として知られてきた。需要は全国に広がり、量販店や業務用ルートを通じて安定的に消費されている——はずだった。
問題は、コスト構造の変化に価格がついてこないことだ。
シラス漁は、船びき網と呼ばれる漁法で行われることが多い。2隻の船で網を曳くため、燃油消費量は比較的大きい。そしてこの燃油——A重油の価格が、ここ数年で大きく跳ね上がっている。2020年度にはリットルあたり60円台だったA重油は、中東情勢の不安定化や円安の影響を受け、2024年には90円台後半から100円を超える水準で推移している。1回の操業で数百リットルを消費する漁船にとって、この差は1航海あたり数万円のコスト増を意味する。
水揚げ200キロという数字の重みは、ここで効いてくる。シラスの浜値(漁師が受け取る価格)は、時期や品質にもよるが、1キロあたり数百円から1,000円前後。仮に平均700円として、200キロで14万円。ここから燃油代、人件費、網の修繕費、共同経費を差し引けば、手元に残るものはほとんどない。「赤字が出る」という漁師の言葉は、感覚ではなく計算の結果だ。
では、なぜ価格に転嫁できないのか。
ちりめんやしらす干しは、全国の産地が競合する加工品市場で流通する。愛媛、兵庫、静岡、茨城——各地のシラスが同じ棚に並ぶ。消費者にとって産地の違いは、味の違いとして認識されにくい。結果として、価格競争に巻き込まれやすく、コストが上がっても売値を上げる交渉力を個々の漁師や小規模な加工業者が持つことは難しい。
さらに、シラスは加工工程を経るため、漁師と消費者の間に加工業者・卸売・小売という複数の段階が入る。流通の距離が長い。小イワシの「短距離回路」とは対照的に、シラスは「長距離回路」の中で、コスト増が途中で吸収されるか、あるいは末端の漁師に押し戻される。
こちらも構造を整理する。
- 資源:仔魚ゆえに年ごとの変動が大きく、不安定
- 流通:加工→卸→小売の長距離回路。産地間競合が激しい
- 需要:全国的だが、産地の差別化が効きにくい
- コスト:燃油高騰の直撃を受け、価格転嫁が困難
歯車のひとつが狂えば、全体が空転する。シラス漁は今、その状態にある。
同じ魚の、違う段階——という皮肉
少し立ち止まって考えたいのは、小イワシとシラスが「同じ魚の、違う成長段階」であるという事実だ。カタクチイワシの仔魚がシラスであり、それが成長すれば小イワシになる。同じ種の、同じ海での営みが、漁業としてはまったく異なる経済構造を持つ。
この皮肉は、漁業の持続可能性を考えるうえで示唆的だ。問題は魚にあるのではなく、魚を取り巻く仕組み——流通の長さ、コスト構造、需要の質、価格決定の力学——にある。
これは誰を楽にするか——仕組みへの問い
シラス漁の苦境に対して、「政府の支援が必要だ」「消費者の意識が大切だ」という声は当然ある。燃油高騰対策としての漁業経営セーフティネット構築事業(燃油価格が基準を超えた場合に補塡金が支払われる制度)は存在するが、補塡の発動条件や積立金の負担が、小規模漁業者にとって必ずしも使いやすい設計になっているとは限らない。
支援制度があるかどうかではなく、その制度が「現場で実際に手を伸ばせる形になっているか」——ここに、仕組みの本質がある。
小イワシ漁が教えてくれるのは、特別な補助や大規模な投資がなくても、資源・流通・需要・コストの歯車が噛み合えば漁業は回るということだ。逆に言えば、シラス漁に必要なのは、壊れた歯車のどれを修理するかを見極めることだろう。産地のブランド化による価格決定力の回復か、加工・流通の短縮による中間コストの削減か、あるいは燃油に依存しない漁法や共同操業によるコスト分散か。
答えはひとつではないし、すぐには出ない。ただ、構造を見れば、どこに手を入れるべきかは少しずつ見えてくる。
港の朝は、続く
瀬戸内海の朝は、明日も来る。小イワシの銀色が競り場で光り、シラスの船が静かに帰る——その風景が続くかどうかは、海の豊かさだけでは決まらない。魚と人の間にある仕組みが、ちゃんと回っているかどうかで決まる。
「200キロでは燃油代も出ん」。その言葉の重さを受け止められる仕組みが、まだこの海にはつくれるはずだ。
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JA
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