子育て4割が「しにくい」、中学受験者5年で1000人減、エンディングノート3万部増刷——広島市の「人生の入口と出口」が映す静かな地殻変動

同じ街で、入口が細くなり、出口が整えられている 広島市で、三つの数字が静かに並んでいる。 30代の約4割が「子育てしにくい」と答えた満足度調査。広島県西部で過去5年間に1000人以上減った中学受験の志願者数。そして、市が発行したエンディ

By Rei

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同じ街で、入口が細くなり、出口が整えられている

広島市で、三つの数字が静かに並んでいる。

30代の約4割が「子育てしにくい」と答えた満足度調査。広島県西部で過去5年間に1000人以上減った中学受験の志願者数。そして、市が発行したエンディングノートの3万部増刷決定——。

どれも単体では「よくある地方都市の話題」に見える。けれど三つを並べたとき、ひとつの構造が浮かぶ。人生の入口にあたる子育て・教育の領域では制度と実感の間に溝が広がり、人生の出口にあたる終活の領域では市民が自ら仕組みを使いこなしている。同じ自治体の中で、入口が細くなり、出口が整えられている。この温度差こそが、広島市の人口構造に起きている変化の輪郭だ。

「しにくい」が4割——子育て満足度調査が映すもの

広島市が実施した子育てに関する満足度調査で、30代の回答者のうち約4割が「子育てしにくい」と感じていると答えた。注目すべきは、この数字が「不満」ではなく「しにくい」という言葉で集約されている点だ。不満なら制度や待遇への怒りだが、「しにくい」はもう少し手前にある——日常の動線の中で、どこかが噛み合わない感覚に近い。

背景として指摘されるのは、職場の長時間労働、保育サービスの利便性、地域コミュニティの希薄化など複数の要因だ。しかし、これらは広島市に限った話ではない。全国の政令指定都市が同じ課題を抱えている。問題は、広島市がその中で「選ばれない側」に回りつつあるのではないか、という点にある。

広島市の人口動態を見ると、2020年以降、転出超過の傾向が続いている。特に20代後半から30代——まさに子育ての入口に立つ世代が、東京圏や近隣の福岡市へ流出しているとの指摘がある。「子育てしにくい」という回答は、すでにこの街にいる人の声だ。声を上げずに去った人の数は、この調査には含まれていない。

この結果を受け、広島市は「こども・若者・子育て政策推進本部」を新設した。松井一實市長は「危機感をもって取り組む」と表明している。本部の設置そのものは一歩だが、ここで問われるのは「何を変えるか」ではなく「誰の声を起点にするか」だろう。調査結果の4割という数字は、政策の出発点にはなるが、到達点にはならない。

中学受験志願者、5年で1000人減——教育投資の「引き潮」

子育ての温度が下がっていることを、もうひとつ別の角度から示すデータがある。広島県西部における中学受験の志願者数が、過去5年間で1000人以上減少した。

この数字をどう読むか。少子化による母数の減少は当然ある。しかし1000人という規模は、単純な出生数の減少だけでは説明しきれない。中学受験は、家庭が教育に対して時間・費用・労力を集中的に投じる行為だ。塾代だけでも年間50万〜100万円、家庭によってはそれ以上になる。志願者の減少は、子どもの数が減ったという事実と同時に、「そこまで投資する余裕、あるいは動機が薄れている家庭が増えた」という可能性を示唆する。

一方で、受験の多様化——公立中高一貫校の台頭、オンライン教育の普及、地元公立校への再評価——が選択肢を広げている側面もある。つまり、「受験しない」が「教育を諦めた」とは限らない。ただ、地域の私立中学にとっては、志願者減は経営の根幹に関わる。教育機関の持続可能性という観点から見れば、これは入口の細りがもたらす連鎖の一端だ。

エンディングノート3万部増刷——出口の仕組みが「使われている」

入口が細くなる一方で、出口の側では別の動きが起きている。

広島市が発行するエンディングノートが好評を博し、3万部の増刷が決定した。エンディングノートとは、医療・介護の希望、財産の整理、葬儀の方針など、人生の最終段階に関する意思を書き留めておくためのツールだ。法的拘束力はないが、家族間の合意形成や、本人の意思を尊重したケアの実現に役立つとされる。

3万部という数字は、行政の配布物としては異例の規模だ。広島市の65歳以上人口は約33万人(2023年時点)。単純計算で高齢者のおよそ10人に1人が手に取った計算になる。しかも「配られた」のではなく「求められた」結果としての増刷である点が重要だ。

ここに見えるのは、終活世代が受動的に制度を待つのではなく、能動的に仕組みを使いこなしているという事実だ。エンディングノートは、行政が「用意した」だけでは広がらない。書くという行為には、自分の人生を振り返り、残す人への配慮を言語化する負荷がかかる。それでも3万部が求められたということは、この世代が「自分の出口を自分で設計する」意思を持っているということだ。

入口と出口の「温度差」が意味すること

三つの数字を並べ直してみる。

  • 子育て世代の4割が「しにくい」と感じている。
  • 教育への集中投資(中学受験)を選ぶ家庭が5年で1000人分減った。
  • 人生の出口を整えるノートが3万部、市民の手で求められた。

この構図が映しているのは、世代間の「制度との距離感」の違いだ。子育て世代は、制度があっても実感として「届いていない」と感じている。終活世代は、制度を自ら取りに行き、使いこなしている。同じ自治体の中で、行政サービスへの信頼と活用の温度がこれほど異なっている。

なぜこの差が生まれるのか。ひとつの仮説は、終活世代にとってのエンディングノートが「自分ごと」として完結するツールであるのに対し、子育て支援は職場・保育・医療・地域など複数の仕組みが噛み合わなければ機能しない、という構造の違いだ。エンディングノートは一冊で自分の意思を形にできる。子育て支援は、一つの窓口だけでは解決しない。

広島市の「こども・若者・子育て政策推進本部」が本当に機能するかどうかは、この構造の複雑さに正面から向き合えるかにかかっている。子育て世代が求めているのは、おそらく「新しい制度」ではなく、「すでにある制度が、自分の生活動線の中で噛み合うこと」だ。

誰を楽にする仕組みか

人口構造の変化は、グラフの曲線としては緩やかに見える。しかし、その曲線の内側には、子どもを預けて走る朝の10分がある。受験をやめようと決めた夜の会話がある。ノートに「延命治療は望まない」と書いた午後がある。

数字は構造を見せてくれる。けれど構造の中には、いつも一人ひとりの判断がある。

広島市がこれから問われるのは、「入口と出口のどちらに予算を振るか」ではない。入口に立つ人が、出口を整える人と同じくらい、仕組みを信じて使える状態をつくれるかどうかだ。

3万部のエンディングノートが証明したのは、仕組みは届けば使われるということだった。子育て世代の4割が発した「しにくい」は、仕組みがまだ届いていないという、静かな、しかし切実な報告だ。

届く仕組みは、つくれる。それを3万部が、すでに証明している。

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