医師の手記、高校生の絵、銅版画の絵本——被爆体験を「残す技術」が静かに分岐している
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医師の手記、高校生の絵、銅版画の絵本——被爆体験を「残す技術」が静かに分岐している
被爆から80年。証言者の平均年齢は87歳を超えた。「記憶を残す」という営みは、もはや個人の意志だけでは支えきれない段階に入っている。
いま広島では、その記憶を託す先——手記、絵画、銅版画、デジタル——が静かに分岐し、それぞれ異なる届け方で動き始めている。医師会が家族の被爆手記を公開し、基町高校の生徒たちが証言者と向き合いながら原爆の絵を描き、銅版画の絵本が朗読会で声とともに伝えられ、広島女学院高校の生徒たちが証言のデジタル記録に取り組む。四つの試みを並べて見えてくるのは、「何で残すか」がそのまま「誰に届くか」を決めるという構造だ。そしてその構造の裏側には、記録を支える人々の地味な段取りがある。
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医師の言葉で残す——広島県医師会・広島市医師会の手記公開
広島県医師会と広島市医師会は、被爆した医師やその家族による体験手記の公開を進めている。参加したのは約100人。医師という職業の視点が加わることで、手記には独特の精度が宿る。
被爆直後、自らも被爆しながら治療にあたった医師たちの記録には、「何時何分に何が起きたか」という時間の刻みと、「皮膚がどう変色し、何日後にどんな症状が現れたか」という身体の観察が同居している。感情を抑えた筆致の中に、抑えきれない場面が差し込まれる——それが手記というメディアの力だ。
注目すべきは、この手記が「本人の証言」だけでなく「家族の記憶」を含んでいる点にある。被爆者本人が語れなかった——あるいは語らなかった——ことを、そばにいた家族が書き留める。記憶の主語が一人称から三人称に移るとき、証言の輪郭は少し変わる。けれどもその「少し」の中に、本人が言葉にできなかった痛みの形が浮かぶことがある。
手記は紙に綴じられ、物理的に保管される。検索はできない。一度に読める人数も限られる。だがその「不便さ」が、読む側に時間と集中を要求する。手記を開くという行為そのものが、記憶と向き合う儀式になる。
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高校生が描く——基町高校「原爆の絵」の仕組み
広島市立基町高校の生徒たちによる「原爆の絵」制作は、2007年に始まり、すでに18年の蓄積がある。東広島市で開催された第13回原爆展でも、生徒たちの作品が展示された。
この取り組みが単なる「高校生の絵画活動」と異なるのは、その制作プロセスにある。生徒たちは被爆者と直接対話し、証言を聞き取り、何度も下絵を見せてやり取りを重ねながら一枚の絵を仕上げていく。つまりこれは「描く」以前に「聴く」作業であり、完成した絵は証言者と高校生の共同制作物になる。
証言者が「この色はもっと暗かった」「人はこんなふうには倒れていなかった」と修正を求め、生徒が描き直す。そのやり取りの中で、言葉では伝わりきらなかった光景が視覚として定着する。ここでは絵画というメディアが、言語の限界を補完する道具として機能している。
これまでに制作された作品は180点以上にのぼる。広島平和記念資料館にも所蔵され、常設展示や巡回展を通じて国内外で公開されている。生徒たちが卒業した後も絵は残り続ける——制作者の手を離れてなお届き続けるという点で、この仕組みは個人の善意に依存しない持続性を持っている。
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銅版画と声——絵本が「場」をつくる
銅版画を用いた被爆体験の絵本制作と、その朗読会という試みも進んでいる。銅版画は、金属の版に針で線を刻み、インクを詰めて紙に転写する技法だ。デジタルの滑らかさとは対極にある——線の一本一本に物理的な抵抗があり、刷り上がった画面には独特の凹凸と陰影が残る。
その質感が、被爆体験という主題と呼応する。写真のように「そのまま」を映すのではなく、作家の手と版の抵抗を通過した像として記憶が定着する。観る側は、描かれた場面と同時に「これを刻んだ手」の存在を感じ取る。メディアの物質性が、記憶の重さを伝える回路になっている。
朗読会は、この絵本に「声」と「場」を加える装置だ。一人で読む行為と、誰かの声で聴く行為では、同じ言葉でも届き方が変わる。朗読会の会場で原画が展示されれば、視覚と聴覚が同時に働く。絵本という小さな入れ子構造——版画・言葉・声・空間——が重なることで、体験の伝達密度は上がる。
ただし、朗読会は開催されなければ届かない。銅版画の絵本は量産に向かない。この「届く範囲の狭さ」は弱点であると同時に、その場に居合わせた人にとっての体験の濃度を担保するものでもある。
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デジタルで残す——広島女学院高校の証言記録
広島女学院高校では、同窓会のメンバーや在校生が協力し、被爆者の証言をデジタル形式で記録する活動を進めている。映像・音声・テキストを組み合わせたアーカイブは、インターネットを通じて地理的な制約を超えて届く。
デジタル化の最大の強みは「複製と共有のコストがほぼゼロ」であることだ。手記は一冊、原画は一枚しかないが、デジタルデータは同時に世界中で閲覧できる。翻訳を加えれば言語の壁も下がる。広島を訪れたことのない海外の学生が、画面越しに証言に触れる——その可能性を開くのはデジタルというメディアの構造的な特性にほかならない。
一方で、デジタルには「触れた実感の薄さ」がつきまとう。画面をスクロールする指先と、手記のページをめくる指先では、記憶への距離感が異なる。また、デジタルアーカイブは保守・運用にコストがかかる。サーバーの維持、フォーマットの更新、リンク切れの修正——「一度つくれば残る」わけではなく、残し続けるには継続的な人手と予算が必要になる。この点は見落とされがちだが、デジタル保存の持続性を左右する最も現実的な課題だ。
高校生たちがこの作業に参加していること自体にも意味がある。証言を聞き、文字に起こし、データとして整理する過程で、生徒たち自身が記憶の「中継者」になる。デジタル化という技術的作業の内側に、人から人への伝達が埋め込まれている。
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四つのメディアが描く分岐図
手記は「読む人」に届く。絵画は「観る人」に届く。銅版画の朗読会は「その場にいる人」に届く。デジタルは「検索する人」に届く。
四つのメディアは競合しているのではない。それぞれが異なる入口を開いている。手記の精密さ、絵画の直感性、銅版画の物質感、デジタルの拡張性——どれか一つが正解なのではなく、入口が複数あること自体が、記憶の生存確率を上げている。
そしてどのメディアにも共通しているのは、裏側に「段取りをする人」がいるということだ。医師会で手記を集め、整理し、公開の許諾を取る人。基町高校で証言者と生徒の対話をコーディネートする教員。朗読会の会場を押さえ、原画の輸送を手配する人。デジタルアーカイブのサーバーを維持し、データ形式を更新する人。記憶を残す仕組みは、記憶そのものではなく、その周囲の実務によって支えられている。
被爆80年という節目は、「記憶をどう残すか」の問いが「記憶を残す仕組みをどう維持するか」の問いに移行する転換点でもある。証言者がいなくなった後、手記は誰が管理するのか。絵画制作は証言者なしで続けられるのか。デジタルアーカイブの運用費は誰が負担するのか。
メディアの選択は、届け先を決めると同時に、維持の責任を誰が引き受けるかも決める。その構造を見つめることが、記憶を「残す」から「残り続ける」に変えるための、最初の一歩になる。
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JA
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