被爆80年、「伝える」が「つくる」に変わるとき——西川美和の戦争孤児映画、カラー化プロジェクトの映像化、五色劇場『新平和』が示す構造転換

被爆から80年。広島で今年、ほぼ同時期に三つの動きが立ち上がった。西川美和監督による戦争孤児の劇映画、白黒写真カラー化活動の映画化、そして五色劇場による創作劇『新平和』の上演——いずれも「記憶を伝える」活動から出発しながら、「作品をつくる」

By Rei

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被爆から80年。広島で今年、ほぼ同時期に三つの動きが立ち上がった。西川美和監督による戦争孤児の劇映画、白黒写真カラー化活動の映画化、そして五色劇場による創作劇『新平和』の上演——いずれも「記憶を伝える」活動から出発しながら、「作品をつくる」という別の回路へ踏み出している。注目すべきは、この三つが示し合わせたわけではないという点だ。異なる現場で、異なる手法を持つ人々が、同じ年に同じ方向を向いた。それは偶然ではなく、伝承という営みが80年という時間の中で構造的に変わりつつあることの証左だろう。

西川美和『わたしの知らない子どもたち』——「知らない」と名乗ることから始まる

広島県出身の映画監督・西川美和さんの新作『わたしの知らない子どもたち』が、カナダ・トロント国際映画祭(TIFF)への出品が決まった。TIFFは毎年9月に開催され、北米最大級の映画祭として約48万人の観客動員を誇る。アカデミー賞の前哨戦としても位置づけられ、ここでの上映は国際的な批評と配給ルートの双方に直結する。

作品が描くのは、第二次世界大戦で家族を失った戦争孤児たちの物語だ。西川監督は「戦争孤児たちの物語を通じて、どのようにして彼らが未来を切り開いていったのかを描きたかった」と語っている。

ここで少し立ち止まりたいのは、タイトルに置かれた「わたしの知らない」という言葉だ。被爆体験を描く作品は、これまで「知っている人が伝える」構造の上に成り立ってきた。証言者がいて、聞き手がいて、記録が残る。しかし西川監督は1974年生まれ——直接の被爆体験を持たない世代である。「知らない」と正直に名乗ったうえで、それでも手を伸ばす。その姿勢自体が、伝承の主体が「体験者」から「想像する者」へと移行しつつある現在地を映し出している。

西川監督のフィルモグラフィを振り返れば、『ゆれる』(2006年)、『永い言い訳』(2016年)、『すばらしき世界』(2021年)と、一貫して「関係の中で揺れる個人」を描いてきた作家だ。戦争孤児という題材もまた、国家と個人、庇護の喪失と自力での再建という関係性の物語にほかならない。広島出身という出自と、関係性を描く作家としての手つきが、被爆80年というタイミングで交差した——その構造に、少し胸が熱くなる。

白黒写真カラー化——「色を加える」ことは「対話を始める」こと

広島で続けられてきた白黒写真のカラー化プロジェクトが、映画として制作される動きが進んでいる。このプロジェクトは、東京大学の渡邉英徳教授らを中心に、AIによる自動着色と被爆者本人への聞き取りを組み合わせて進められてきた。2017年頃から本格化し、これまでにカラー化された写真は数百点に及ぶ。

この取り組みの本質は、単に「古い写真を見やすくする」ことではない。AIが仮の色を付けた写真を被爆者に見せると、「この空はもっと赤かった」「この服は紺色だった」と、それまで語られなかった記憶が引き出される。色という問いかけが、証言を呼び起こすのだ。つまりカラー化は記録の「完成」ではなく、対話の「起点」として機能している。

技術的に見れば、AIの着色精度は年々向上しているが、それでも「正しい色」を機械だけで復元することはできない。最終的に色を確定するのは、その場にいた人間の記憶だ。ここに、技術と人間の温度が交差する地点がある。AIが問いを立て、人間が答える——その往復運動そのものが、記憶の伝承の新しい形になっている。

このプロセスを映画として記録・再構成することは、カラー化という行為のメタ的な映像化であり、「記憶を伝える仕組み」そのものを作品にするという入れ子構造を持つ。完成した写真だけでなく、色を巡って交わされた言葉、沈黙、訂正——その過程にこそ、伝承の手触りがある。

五色劇場『新平和』——証言を「素材」として手放す覚悟

五色劇場が7月25日・26日の2日間、広島市中区で創作劇『新平和』を上演する。各回の入場者数は約200名を見込んでおり、小劇場ならではの距離感で観客と向き合う形式だ。

作品は被爆者の証言を元にした創作劇とされる。ここで重要なのは「元にした」という一語だろう。証言をそのまま朗読するのではなく、創作の素材として再構成する。それは証言者の言葉を一度手放し、別の身体と声を通して立ち上げ直す行為だ。

「伝える」と「つくる」の間には、実は深い溝がある。証言をそのまま伝えることには、原文の力をそのまま届けるという誠実さがある。一方で、創作として再構成することには、証言を「変えてしまう」リスクが伴う。五色劇場がそのリスクを引き受けたことの意味は小さくない。

タイトルの「新平和」という言葉も示唆的だ。「平和」にわざわざ「新」を冠する——それは、これまでの「平和」の語り方では届かない場所があるという認識の表れではないか。200名という規模は、大ホールの動員数と比べれば小さい。しかし、観客一人ひとりの身体に届く密度は、この規模だからこそ成り立つ。仕組みとしての「小ささ」が、ここでは強度になっている。

三つの動きが重なって見えるもの——伝承の「構造転換」

この三つの動きを並べてみると、共通する構造が浮かび上がる。

第一に、いずれも「体験者ではない人間」が主体となっている。西川監督は戦後生まれの映画作家であり、カラー化プロジェクトはAI技術者と研究者が起点となり、五色劇場の演者は被爆者本人ではない。伝承の担い手が、体験の「外側」にいる人々へと移行している。

第二に、いずれも「記録」ではなく「作品」として世に出ようとしている。証言集やドキュメンタリーとは異なり、劇映画、アート的映像作品、創作劇という形式を選んでいる。事実をそのまま保存するのではなく、事実を素材として新たな表現を生み出す方向へ舵を切っている。

第三に、三つとも「問いかけ」の構造を持っている。西川監督は「知らない」と問い、カラー化は「この色で合っていますか」と問い、五色劇場は「新しい平和とは何か」と問う。答えを提示するのではなく、問いを開く——それが、体験者の不在という現実に対する、この世代なりの誠実さなのだろう。

被爆80年という数字は、体験者の高齢化と減少を意味する。広島市が公表している被爆者健康手帳の所持者数は、2024年3月末時点で約10万6千人。平均年齢は85歳を超えた。「聞いて、そのまま伝える」という伝承の回路は、物理的に細くなりつつある。

だからこそ、「つくる」という行為が必要になる。体験を持たない人間が、想像力と技術と身体を使って、記憶を別の形に変換する。それは原体験の「劣化コピー」ではない。むしろ、記憶が次の世代の手で新しい命を得る過程だ。

これから見届けるべきこと

9月のトロント国際映画祭での『わたしの知らない子どもたち』の上映、カラー化プロジェクト映画の公開時期と配給形態、そして7月末の五色劇場『新平和』上演後の観客の反応——それぞれの「その後」が、この構造転換の行方を示すことになる。

特に注視したいのは、これらの作品が広島の外でどう受け取られるかという点だ。伝承が「つくる」に変わったとき、それは広島という土地の固有性を超えて、戦争と記憶を巡る普遍的な問いへと開かれる可能性を持つ。トロントという国際的な場で、西川監督の映画がどのような文脈で語られるのか。カラー化という手法が、広島以外の戦争記憶にも応用されていくのか。小劇場という形式が、他の地域の伝承活動にどんな示唆を与えるのか。

三つの現場は、互いを知らないまま同じ方向を向いた。それぞれの専門——映画、テクノロジー、演劇——はまったく異なる。しかし、たどり着いた結論は同じだ。「伝える」だけでは届かない場所がある。だから「つくる」。

被爆80年。広島の記憶は今、伝えられるものから、つくられるものへと、静かに、しかし確かに姿を変えようとしている。

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