女性バス運転手2%、保育フェア、部活動の地域移行——「担い手不足」の裏にある仕組みの設計ミス
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バスの運転席、保育室、放課後のグラウンド——広島県内の三つの現場で、同じ言葉が繰り返されている。「人が足りない」。だが、足りないのは本当に「人」なのか。足りていないのは、人がそこに立ち続けられる仕組みのほうではないか。
三つの事象を並べてみると、表面上はまるで別の話に見える。女性バス運転手の割合がわずか2%という交通の現場。保育人材を求めて呉市が開く「保育フェア」。東広島市で始まった部活動の地域移行モデル事業。けれど、裏側にある構造は驚くほど似ている。「来てほしい」と呼びかけながら、来た人が続けられる条件を整えきれていない——その設計の不在が、三つの現場に共通する本質だ。
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2%という数字が映すもの——女性バス運転手の現場
広島県内のバス事業者における女性運転手の比率は約2%。全国平均でも女性バス運転手の割合は3%前後とされており、広島がとりわけ低い水準にあることがわかる。運転手不足は全国的な課題だが、2024年問題——時間外労働の上限規制適用——を経て、各事業者の人繰りはさらに厳しさを増している。
では、なぜ女性が来ないのか。「採用を増やす」という号令だけでは見えない壁がある。
まず、勤務シフトの問題がある。早朝5時台から深夜帯まで、バス運転手の勤務時間は生活リズムとの折り合いがつけにくい。保育園の送迎時間と始業時刻が重なれば、育児中の人はそもそも応募の選択肢に入れられない。次に、休憩・更衣スペースの整備。女性用の更衣室やトイレが営業所に十分に用意されていないケースは、いまだに珍しくない。さらに、職場の文化。長年男性中心で回ってきた現場に、一人で飛び込むハードルは想像以上に高い。
一部の事業者では、育児時間帯を避けた短時間シフトの導入や、女性運転手同士をつなぐメンター制度の試行が始まっている。こうした取り組みは「特別扱い」ではなく、これまでの仕組みが特定の属性——フルタイムで働ける成人男性——だけを前提に設計されていたことの修正にすぎない。
2%という数字は、女性の意欲の低さを示しているのではない。仕組みが「来てもいいよ」と言いながら、実際には「来られる条件」を用意してこなかった歴史の反映だ。
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呉市「保育フェア」——フェアで人は集まるか、留まるか
呉市が開催を予定する「保育フェア秋2026」は、保育現場の人材確保を目的としたイベントだ。複数の保育施設が一堂に会し、求職者と直接つながる場を設ける。こうしたマッチングの機会を増やすこと自体は意味がある。だが、ここで問いたいのは「集めた人が、続けられるか」という一点だ。
厚生労働省の賃金構造基本統計調査(2023年)によれば、保育士の平均月収は約27万円(賞与含まず)。全産業平均と比べると依然として低い水準にある。広島県内ではさらに地域差があり、呉市のような中規模都市では広島市内より条件が下がる傾向がある。加えて、保育士一人あたりの配置基準——4・5歳児で30対1という国の基準は、OECD諸国と比較しても手薄だ。現場の負荷は数字以上に重い。
離職率の高さもまた構造的だ。保育士の離職理由として繰り返し挙がるのは「給与の低さ」「業務量の多さ」「人間関係」の三つ。フェアで出会いの場を作っても、入った先の環境が変わらなければ、人は静かに去っていく。
呉市が本当に問うべきは「どうやって人を集めるか」ではなく、「集まった人が3年後もそこにいられる仕組みをどう作るか」だろう。フェアは入口にすぎない。入口の先にある廊下と部屋の設計こそが、問われている。
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東広島市・部活動の地域移行——「誰が担うか」の再設計
東広島市で始まった部活動の地域移行モデル事業は、教員の長時間労働という深刻な課題への応答として注目される。文部科学省が2023年度から段階的に進める方針を示し、休日の部活動指導を地域の団体やクラブに委ねる流れが全国で広がりつつある。
だが、「学校から地域へ」という移行の矢印は、受け皿の設計なしには宙に浮く。
最大の課題は指導者の確保と質の担保だ。地域のスポーツ経験者がそのまま指導者になれるわけではない。子どもの発達段階に応じた指導法、安全管理、ハラスメント防止——これらの研修体制を誰が整え、誰が費用を負担するのか。ボランティアの善意に依存する構造は、善意が尽きた瞬間に崩れる。
運営資金の問題も見過ごせない。保護者負担が増えれば、経済的に厳しい家庭の子どもが部活動から排除されるリスクがある。月額数千円の会費であっても、兄弟が複数いれば家計への影響は小さくない。「地域で子どもを育てる」という理念が、結果的に「払える家庭の子どもだけが参加できる」仕組みになってしまっては、本末転倒だ。
東広島市のモデル事業がどこまで踏み込めるか。指導者への適正な報酬、研修制度の整備、低所得世帯への減免措置——こうした「仕組みの骨格」を最初から設計に組み込めるかどうかが、成否を分ける。
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三つの現場が指し示す、同じ構造
バスの運転席、保育室、放課後のグラウンド。三つの現場は業種も対象も異なるが、底を流れる構造は一つだ。
「人を呼ぶ施策」はあるが、「人が残れる設計」が追いついていない。
女性運転手の採用キャンペーン、保育フェア、地域移行のモデル事業——いずれも入口を広げる試みとしては正しい。しかし、入口だけを広げて中の構造を変えなければ、人は入っては出ていくだけだ。回転ドアのように。
ここで見落とされがちなのは、仕組みの設計には「誰を前提にしているか」という暗黙の想定が埋め込まれているということだ。バス運転手の勤務体系はフルタイムの男性を、保育士の賃金水準は「家計の補助的収入」を、部活動の指導は「教員の献身」を、それぞれ暗黙の前提としてきた。その前提自体が現実と乖離したとき、仕組みは静かに機能不全を起こす。
担い手不足を嘆く前に、問うべきことがある。この仕組みは、誰を楽にするために設計されたのか。そして、誰を排除してしまっているのか。
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今後の注目点——仕組みの「中身」が問われるフェーズへ
広島県内のこれらの取り組みは、いずれもまだ始まったばかりだ。成果が見えるには時間がかかる。だからこそ、追うべきは「何人集まったか」ではなく、「集まった人がどれだけ続けられたか」という定着の数字だろう。
女性バス運転手が5%、10%と増えていくとき、シフトや設備はどう変わったのか。保育フェアで出会った保育士が、1年後もその園にいるのか。地域移行した部活動で、指導者が適正な対価を得て、子どもたちが経済状況に関係なく参加できているのか。
これらの問いに答えられる仕組みを持てるかどうかが、「人が足りない」という言葉の意味を変える。足りないのは人ではなく、人がそこにいられる理由だ。
三つの現場で静かに進む試行錯誤の先に、「担い手」という言葉が不要になる日が来るとしたら——それは、人を呼ぶ声の大きさではなく、人が立ち続けられる足場の確かさによってだろう。
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