原爆名簿の記帳者を「公募」した——継承を仕組みにするとき、何が変わるか

一筆ごとに、名前を預かる 広島市が管理する原爆死没者名簿には、2024年8月6日時点で33万9227人の名前が記されている。毎年、前年の8月から当年の7月までに死亡が確認された被爆者の名前が追記され、名簿は厚みを増していく。その一文字一文

By Rei

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一筆ごとに、名前を預かる

広島市が管理する原爆死没者名簿には、2024年8月6日時点で33万9227人の名前が記されている。毎年、前年の8月から当年の7月までに死亡が確認された被爆者の名前が追記され、名簿は厚みを増していく。その一文字一文字を筆で書き入れる「記帳」という作業は、長年にわたり被爆者やその遺族、あるいは市が個別に依頼した書家の手で行われてきた。

今年、その仕組みが変わった。広島市は記帳者を初めて一般から公募し、応募者の中から14人を選出した。最年少は16歳の高校生。最年長は70代。被爆体験の有無を問わず、「名前を書く」という行為を通じて追悼に参加する道が、制度として開かれたことになる。

これは誰を楽にするのか——そう問いかけたとき、見えてくるのは「属人的な善意」に頼り続けることの限界と、それを仕組みに変えようとする静かな決断の輪郭だ。

属人から制度へ——なぜ今、公募だったのか

記帳作業の担い手は、年々減り続けてきた。被爆者の平均年齢は85歳を超え、被爆者健康手帳を持つ人の数は2024年3月末時点で約10万6000人にまで減少した。ピーク時の3分の1以下である。記帳を引き受けてきた方々も高齢化し、体力的に筆を持つことが難しくなるケースが増えている。

これまで広島市は、退任する記帳者の後任を口伝えや個別の打診で探してきた。いわば「この人なら」という信頼の連鎖で成り立つ仕組みだった。それ自体は美しい。しかし、連鎖が途切れたとき——つまり、紹介できる人がいなくなったとき——制度ごと止まるリスクを抱えていた。

公募という選択は、その連鎖を「開く」行為にほかならない。応募条件に被爆体験の有無は含まれていない。求められたのは、毛筆の技術と、追悼の意思。つまり、「誰であるか」ではなく「何をできるか、何を引き受ける覚悟があるか」で門戸を開いたということだ。

ここに、属人的な継承から制度設計への転換がある。個人の思いに依存する仕組みは、その人がいなくなれば消える。制度にすれば、人が入れ替わっても続く。ただし、制度にした瞬間に「思い」が薄まるのではないか——その懸念は当然ある。公募で選ばれた16歳の高校生が、被爆者と同じ重さで筆を運べるのかと。

だが、少し立ち止まって考えたい。名前を一筆ずつ書くという行為そのものが、書き手に何かを刻む。知らない人の名前を、丁寧に、間違えないように書き写す時間——それは「体験の継承」とは違う回路で、追悼を身体に通す作業ではないか。

被団協の理事長交代が映すもの

記帳者の公募と同じ年に、広島県被団協(広島県原爆被害者団体協議会)の理事長が交代した。新理事長の原田浩氏は、被爆当時6歳。自身の記憶を語れる最後の世代のひとりである。

原田氏が就任にあたって繰り返し語っているのは、「次の世代が自分の言葉で発信すること」の重要性だ。被爆者の証言をそのまま暗記して読み上げるのではなく、若い世代が自分なりの文脈でメッセージを組み立てること——それが継承の次の段階だという認識がにじむ。

平和宣言の骨子案にも、その方向性は反映されている。厳しさを増す国際情勢——ロシアによるウクライナ侵攻の長期化、中東での紛争拡大、核兵器使用をめぐる威嚇的言説の増加——を背景に、「核兵器のない世界」の実現に向けた国際的連帯が改めて求められる中で、「若い世代による発信」が骨子案の柱のひとつに据えられた。

理事長の交代と記帳者の公募。この二つは直接の因果関係で結ばれているわけではない。しかし、同じ年に起きたことの意味は、少し引いて見ると浮かび上がる。組織のトップが「次世代へ」と舵を切り、追悼の現場でも「次世代が参加できる制度」が動き始めた。個別の判断が、結果として同じ方向を向いている——そういう構造が、ここにある。

96歳と16歳が同じ年に並ぶ構図

今年の原爆の日を前に、96歳の被爆者が高校生たちの前で講演を行った。自身が被爆した当時の状況を語り、折り鶴を一人ひとりに手渡したという。

この場面を伝える報道を読んだとき、目が止まったのは「手渡す」という動作だった。折り鶴は郵送もできる。展示もできる。しかし、手から手へ渡すことを選んだ。その物理的な接触の中に、言葉では伝えきれない何かを託そうとする意志がある。

一方で、公募から選ばれた16歳の記帳者は、名簿に向かって筆を持つ。書くのは、会ったことのない人の名前だ。その人がどんな人生を送り、どんな最期を迎えたのか、名前からはわからない。わからないまま、一画ずつ丁寧に書く。

96歳が「渡す」側にいて、16歳が「受け取る」側にいる——その構図は、少し単純すぎるかもしれない。むしろ注目したいのは、16歳が「受け取る」だけでなく「書く」という能動的な行為を通じて追悼の当事者になっている点だ。聞くことと書くことでは、身体の使い方が違う。書く行為は、否応なく時間をかけさせる。その時間の中で、名前の向こうにいた人の存在が、少しずつ書き手の中に入ってくる。

この二つの場面が同じ年に存在すること自体が、継承のかたちが複層的になりつつあることを示している。証言を聞く継承、儀式に参加する継承、そして「書く」という身体行為を通じた継承。どれかひとつが正解なのではなく、複数の回路が同時に開かれていることに意味がある。

仕組みにしたとき、何が残り、何が変わるか

継承を仕組みにすることには、常に両面がある。

制度化すれば、担い手が途絶えるリスクは下がる。公募という形をとれば、毎年新しい人が参加できる。記帳という行為の意味を知る人の裾野が広がる。これは明確な利点だ。

一方で、「あの人だからこそ書けた一筆」という固有性は、制度の中では薄まる。被爆者自身が、亡くなった友人の名前を書き入れるとき——その筆の震えに宿るものは、公募で選ばれた書き手には再現できない。それは事実として認めなければならない。

しかし、ここで問いを少しずらしたい。「同じものを再現すること」が継承なのか、それとも「別のかたちで引き受けること」が継承なのか。

被爆者が書く一筆と、16歳の高校生が書く一筆は、同じではない。込められる記憶の質が違う。だが、名前を預かるという行為の重さは、書き手が誰であっても変わらない。むしろ、「知らない人の名前を書く」という行為のほうが、ある種の緊張を伴うかもしれない。知っている人の名前なら感情が導いてくれる。知らない人の名前には、意志だけが頼りになる。

公募という仕組みは、その「意志を持って参加する」という回路を制度として保障した。来年も、再来年も、手を挙げる人がいれば続く。手を挙げる人がいなくなったとき——それは制度の失敗ではなく、社会全体の問題として可視化される。属人的な仕組みでは、担い手がいなくなっても「たまたま後継者が見つからなかった」で済まされてしまう。制度にすれば、応募ゼロという数字が、社会に問いを突きつける。

今後の注目点——制度が「続く」ための条件

公募が一度きりのイベントで終わるのか、毎年の制度として定着するのか。ここが最初の分岐点になる。

定着のためには、いくつかの条件が必要だろう。記帳者への研修や心理的サポートの設計、選考基準の透明性、そして記帳という行為の意味を社会に伝え続ける広報。仕組みは、つくった瞬間ではなく、二年目、三年目に真価が問われる。

また、公募記帳者の経験がどのように共有されるかも重要だ。書いた人が何を感じたのか——その言葉が次の応募者を呼ぶ。体験が循環する設計があれば、制度は自走し始める。

原爆死没者名簿の記帳は、華やかな行事ではない。テレビに映るのは式典の数分間で、名簿を書く作業は静かな部屋で、何日もかけて行われる。裏方の、地味な、しかし欠かせない段取りだ。

その裏方の仕事に「参加したい」と手を挙げる人を、制度として迎え入れる道ができた。これは小さな変化に見えるかもしれない。しかし、継承という営みを「誰かの善意」から「社会の仕組み」へと移すための、確かな一歩だ。

名前を書くという行為は、その人がたしかにここにいたことを、もう一度この世界に刻み直すことにほかならない——16歳の手が、それを引き受けようとしている。

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