スズメが鐘を止め、箕牧さんが筆を置く——2026年夏、広島の「平和の継承装置」が同時に揺れている

三つの「止まる」が重なった夏 2026年の夏、広島で三つのものが同時に止まった。 平和記念公園の「平和の鐘」にスズメが巣を作り、鐘が鳴らせなくなった。広島県被団協の箕牧智之理事長(94)が体調を理由に退任の意向を表明した。そして5月に閉

By Rei

|

Related Articles

三つの「止まる」が重なった夏

2026年の夏、広島で三つのものが同時に止まった。

平和記念公園の「平和の鐘」にスズメが巣を作り、鐘が鳴らせなくなった。広島県被団協の箕牧智之理事長(94)が体調を理由に退任の意向を表明した。そして5月に閉幕したNPT(核不拡散条約)再検討会議は、三度目の成果文書不採択に終わった。

鐘が止まる。人が降りる。合意が決裂する——それぞれ別の文脈で起きた出来事だが、並べてみると一つの問いが浮かぶ。広島の「平和の記憶」を支えてきた装置は、いま誰が、どんな仕組みで回しているのか。そしてその仕組みは、次の担い手に引き継げる状態にあるのか。

鐘を止めたのは「生きもの」だった

平和の鐘は、1964年の設置以来60年以上にわたり、来園者が自らの手で撞くことで「祈りの音」を生んできた。鐘の表面には国境のない世界地図が鋳込まれ、撞座には原子力マークが刻まれている。年間およそ140万人が訪れる平和記念公園において、この鐘は「誰でも参加できる祈りの装置」として機能してきた。

今年6月、その鐘の内部にスズメが巣を作っているのが確認された。広島市は鳥獣保護管理法に基づき、ヒナが巣立つまで鐘の使用を休止する方針を決めた。同法では、営巣中の野鳥の巣を許可なく撤去することは原則として禁じられている。市の判断は法令に沿ったものだ。

少し立ち止まって考えたいのは、この「止まり方」の構造である。鐘を止めたのは老朽化でも予算不足でもなく、生きものの営みだった。平和の装置が、命を守る法律によって一時停止する——そこには矛盾ではなく、むしろ筋の通った倫理がある。命を悼むための鐘が、目の前の命を優先して沈黙する。その静けさの中に、平和の意味がもう一層重なっている。

ただし、問題の本質は「鐘が止まったこと」そのものではない。鐘が止まっている間、来園者の祈りの動線はどうなるのか。代替の導線や案内は設けられているのか。装置が一つ止まったとき、それを補う仕組みがあるかどうか——継承の強度はそこに表れる。

箕牧さんが降りる、その「後ろ側」にあるもの

箕牧智之さんは、3歳のときに広島で被爆した。広島県被団協の理事長として、国内外で証言活動を続け、2024年のノーベル平和賞授賞式にも被団協代表委員として出席した人物である。

その箕牧さんが、2026年6月、体調不良を理由に退任の意向を示した。後任には原爆資料館の元館長の名前が挙がっているとされるが、正式な決定には至っていない。

ここで注目すべきは、箕牧さん個人の功績だけではない。被爆者の平均年齢は2025年度時点で85歳を超えている。厚生労働省の統計によれば、被爆者健康手帳の所持者数は2024年3月末時点で約10万6千人。ピークだった1980年代の約37万人から7割以上減少した。証言の担い手が物理的にいなくなる——これは「頑張り」では解決できない、時間の構造的な問題だ。

箕牧さん自身、近年のインタビューで繰り返してきた言葉がある。「わしらがおらんようになっても、記憶は残さにゃいけん」。この言葉は、個人の意志の表明であると同時に、仕組みへの問いかけでもある。記憶を「残す」のは人だが、「残り続ける」ようにするのは制度であり、組織であり、アーカイブの設計だ。

被団協の内部では、被爆二世・三世の参画や、伝承者制度(広島市が2012年に始めた「被爆体験伝承者」養成事業)との連携が模索されてきた。伝承者はこれまでに約200人が認定され、年間数百回の講話を担っている。だが、伝承者はあくまで「語り手」であり、運動体としての被団協の意思決定や対外交渉を担う存在ではない。リーダーシップの継承と、記憶の継承は、似ているようで別の回路が必要になる。

NPT決裂——「外側の枠」が外れるとき

2026年5月、ニューヨークの国連本部で開かれたNPT再検討会議は、約4週間の交渉の末、成果文書を採択できずに閉幕した。最終草案では核軍縮の具体的なタイムラインや中東非核地帯構想の扱いをめぐり、核保有国と非保有国の溝が埋まらなかった。NPT再検討会議が成果文書を採択できなかったのは、2005年、2015年に続き三度目となる。

広島市の松井一實市長は閉幕後、「被爆地として極めて残念」とコメントを出した。広島県の湯﨑英彦知事も同様の声明を発表している。

NPTは1970年の発効以来、核の「持つ国」と「持たない国」の非対称な構造を前提としながらも、核軍縮・不拡散・平和利用という三本柱で国際秩序を支えてきた。その再検討会議が機能不全に陥ることは、広島の平和運動にとって単なる「外交ニュース」ではない。被爆者の証言や市民の祈りが最終的に届くべき「出口」——国際的な合意形成の場——が塞がれることを意味する。

つまり、広島の平和の継承装置は三層構造になっている。第一層は、鐘や碑や資料館といった「場と物」。第二層は、被爆者や伝承者といった「人と組織」。第三層は、NPTや核兵器禁止条約(TPNW)といった「国際的な枠組み」。2026年夏、この三つの層がそれぞれ別の理由で同時に揺れている。

「誰を楽にするか」という問い

平和の継承を語るとき、しばしば「次世代に託す」という言い方がされる。だが、託される側の負担を考えた設計になっているかどうかは、あまり問われない。

伝承者制度を例にとれば、認定を受けた伝承者は被爆者の体験を「自分の言葉」で語ることを求められる。その準備には数年を要し、精神的な負荷も小さくない。制度としては存在するが、伝承者の活動を支える報酬体系や、燃え尽きを防ぐケアの仕組みは十分とは言えない。

箕牧さんの退任が突きつけているのは、「誰かの献身に依存する継承は、その人が降りた瞬間に揺らぐ」という構造的な事実だ。鐘が止まったのと同じである。装置が一つ止まったとき、全体が止まらないようにする冗長性——それが仕組みの強度だ。

広島市は2025年度、平和推進関連予算として約12億円を計上している。平和記念資料館の運営、被爆建物の保存、国際会議への参加、伝承者の養成。これらは個別には機能しているが、「一つが止まっても別の回路が動く」という設計思想で統合されているかどうかは、改めて検証が必要だろう。

鐘が再び鳴るとき

スズメはやがて巣立つ。鐘はまた鳴るだろう。だが、箕牧さんの声は戻らない。NPTの次の再検討会議は2031年まで開かれない可能性がある。

三つの「止まる」のうち、自然に再開するのは一つだけだ。残りの二つは、人が設計し直さなければ動かない。

平和の記憶は、誰かが語り続けるから残るのではない。語れなくなったときにも残る仕組みがあるから、残る。広島の継承装置がいま同時に揺れていることは、危機であると同時に、設計を見直す契機でもある。

箕牧さんは言った。「わしらがおらんようになっても、記憶は残さにゃいけん」——その言葉を、個人の遺言にしてはいけない。仕組みの設計図として読み直すところから、次の継承は始まる。

POPULAR ARTICLES

Related Articles

POPULAR ARTICLES

JP JA US EN