遺骨名簿816人、被爆樹木のバイオリン、伝承者の声——「記憶を届ける仕組み」は、誰を楽にするために回っているか
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40年ぶりの名簿更新が映し出すもの
広島市が2024年、原爆供養塔に納められた遺骨の納骨名簿を全国の自治体へ発送した。対象は遺族が判明していない816人分。名簿には「遺髪あり」とされる52人の記載も含まれる。この名簿が前回更新されたのは約40年前——つまり、被爆から40年目の節点で一度整理され、そこからさらに40年、ほぼ手つかずのまま時間が過ぎたことになる。
供養塔には約7万人分の遺骨が納められている。その大半はすでに遺族のもとへ戻ったか、引き取り手がいないまま安置されている。816人という数字は全体から見れば小さい。しかし、この「小ささ」にこそ目を向けたい。40年のあいだ、名簿は存在していた。遺骨も存在していた。にもかかわらず、照合する仕組みが動いていなかった。記憶の継承を語るとき、私たちはしばしば「語り手がいなくなる」ことを問題にする。だが、ここで問われているのはもう少し手前の話だ——届ける仕組みそのものが、止まっていなかったか。
被爆者の平均年齢86.66歳という「構造」
厚生労働省の2023年度データによれば、被爆者健康手帳を持つ人の平均年齢は86.66歳。手帳保持者数は約11万3000人で、ピーク時(1980年度・約37万人)の3分の1を下回った。1年間に亡くなった被爆者は約8000人。単純に割れば、1日あたり約22人がこの世を去っている計算になる。
この数字が示すのは、「証言者の減少」という抽象的な危機ではない。もっと具体的な構造の変化だ。被爆者が存命であることを前提に設計された制度——健康手帳による医療費助成、被爆者援護法に基づく各種手当、そして証言活動の担い手としての役割——が、前提ごと崩れつつある。仕組みの土台にいた人が、仕組みより先にいなくなる。これは「記憶」以前に「制度設計」の問題でもある。
広島市が2012年に始めた「被爆体験伝承者」制度は、この構造変化への一つの応答だった。被爆者本人から体験を聞き取り、研修を経て、本人に代わって証言を行う。2024年時点で約200人の伝承者が活動しているとされる。宮崎県の「学びの多様化校」で行われた講話もこの制度の一環だ。不登校経験のある生徒たちが、伝承者の言葉に耳を傾けた。
しかし、ここにも構造的な課題がある。伝承者の多くは被爆二世・三世や退職後の市民であり、彼ら自身もすでに60代、70代に差しかかっている。「証言者の代理」を担う人もまた高齢化する——入れ子のように同じ問題が繰り返される。制度を設計した時点では十分だった時間の余白が、想定より早く縮んでいる。
被爆樹木のバイオリン——「音」という回路
広島市内には、爆心地から半径約2キロ以内で被爆しながら生き延びた樹木が約160本登録されている。そのうちの一本、被爆したシダレヤナギの木材を使って制作されたバイオリンが、各地で展示・演奏されている。
「とても深い音がする」——演奏した音楽家の言葉が印象に残る。被爆樹木の細胞には、熱線と爆風を受けた痕跡が残っているという。その木材から削り出された楽器が振動するとき、音は物理現象であると同時に、79年前の熱を通過した繊維の記録でもある。
この取り組みが面白いのは、「聞く」という行為の質を変えている点だ。証言を聞くとき、聞き手には「理解しなければ」という構えが生まれる。だが、音楽を聴くとき、その構えは少し緩む。意味の手前で、音がからだに届く。記憶の継承において、言語以外の回路を持つことの意味は小さくない。
ただし、ここでも仕組みの問題は残る。バイオリンは1挺しかない。展示や演奏のスケジュールは限られ、届く範囲は物理的に制約される。被爆樹木そのものも、老木として枯死するリスクを抱えている。広島市は後継樹の育成を進めているが、「被爆した」という事実を持つ樹木は、もう増えない。音という回路もまた、有限の素材の上に成り立っている。
ロシアの式典欠席——外交の断絶が映すもの
ロシアは2020年以降、広島・長崎の原爆の日の式典に5年連続で招待を受けながら欠席している。ウクライナ侵攻以降、核兵器の使用をちらつかせる発言が繰り返される中で、この欠席は単なる外交儀礼の問題にとどまらない。
ここで事実と推測を分けておきたい。式典への出欠は各国の判断であり、欠席それ自体が核兵器容認を意味するわけではない。一方で、核兵器禁止条約(TPNW)には2024年時点で70カ国が批准しているが、核保有国は一国も参加していない。日本もまた、唯一の戦争被爆国でありながら署名していない。この構造——被爆の記憶を最も強く持つ国が、記憶を制度化する国際的な枠組みに参加していない——は、記憶の継承を語るうえで避けて通れない矛盾だ。
記憶は、語り継ぐだけでは力を持たない。記憶が政策や条約という「仕組み」に変換されてはじめて、次の世代の行動を方向づける。式典の欠席が問題なのは、その変換の回路が一つ閉じることを意味するからだ。
仕組みの「穴」を点検する
整理してみる。いま動いている「記憶の継承」の仕組みには、大きく三つの系統がある。
第一に、遺骨・遺品という物理的な接続。 原爆供養塔の名簿更新はここに属する。40年の空白を経て動き出したことは前進だが、照合作業を継続的に回す体制が確保されているかは、まだ見えない。
第二に、証言という人的な接続。 被爆者本人の証言から体験伝承者へ、そしていずれはその先へ。ここには「伝言ゲーム」の宿命がつきまとう。広島市はAI技術を活用した証言映像のアーカイブ化も進めているが、技術が「体温」をどこまで保存できるかは未知数だ。
第三に、芸術・文化という感覚的な接続。 被爆樹木のバイオリン、被爆ピアノ、原爆文学、映画。言語や世代を超える可能性を持つが、それぞれが単発のプロジェクトにとどまりやすく、持続的な仕組みとして設計されているケースは多くない。
三つの系統は、それぞれ異なる角度から記憶に触れている。物理的な証拠、人の声、感覚への訴え——角度は違うのに、向かっている先は同じだ。「あの日、そこに人がいた」という事実を、まだ生まれていない誰かに届けること。
問題は、この三つがばらばらに動いていることだ。名簿の更新は厚生労働省と広島市の事務作業として進み、伝承者の育成は平和記念資料館の事業として回り、バイオリンの展示は民間の有志が担う。それぞれの担い手が、他の系統の進捗や課題をどこまで把握しているか。仕組みと仕組みのあいだに、見えない隙間がある。
「これは誰を楽にするか」
記憶の継承という言葉は、しばしば「私たちの責務」として語られる。それは間違いではない。だが、もう一つの問いを立てたい——この仕組みは、誰を楽にするために回っているのか。
816人の名簿が届くことで、遺族は80年近く宙に浮いていた喪失にようやく名前をつけられるかもしれない。伝承者の講話を聞いた生徒は、歴史の教科書の数字ではなく、一人の人間の痛みとして被爆を受け取れるかもしれない。バイオリンの音色は、言葉を持たない悲しみに、ほんの少しだけ輪郭を与えるかもしれない。
仕組みは、それ自体が目的ではない。仕組みの先に、具体的な誰かがいる。名簿の行間に、遺髪の一束に、弦の振動に、その誰かの顔が浮かぶかどうか。記憶の継承を「点検する」とは、そこまで見ることだと思う。
40年ぶりに動いた名簿がある。1日22人ずつ、語り手は減っている。時間は構造に対して、いつも少しだけ意地悪だ。——それでも、仕組みが動いている限り、届く可能性は残る。
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JA
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