船員を自前で育て、バスは8社で共同運行し、犬が街を見守る——「足りない」を仕組みで埋める瀬戸内の三つの実験

瀬戸内の海を渡る船に、乗る人はいる。けれど動かす人がいない——そんな事態が、もう目の前にある。 広島県の瀬戸内地域で、三つの小さな実験が同時に動いている。江田島航路では船員を自前で育て始め、広島市内ではバス8社が競合の壁を越えて共同運行に

By Rei

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瀬戸内の海を渡る船に、乗る人はいる。けれど動かす人がいない——そんな事態が、もう目の前にある。

広島県の瀬戸内地域で、三つの小さな実験が同時に動いている。江田島航路では船員を自前で育て始め、広島市内ではバス8社が競合の壁を越えて共同運行に踏み出し、住宅街では犬の散歩が防犯パトロールに変わった。どれも派手さはない。けれど三つを並べて見ると、共通する構造が浮かび上がる。「足りない」を嘆くのではなく、すでにあるものの組み合わせ方を変えることで、仕組みそのものを作り直す試みだ。

これは誰を楽にするのか。その問いを軸に、三つの現場を読む。

江田島航路——「船員がいない」を、育てる仕組みに変える

広島市と江田島市を結ぶ旅客航路は、島民にとって通勤・通学・通院の生命線だ。しかし全国的な船員不足の波は、この短距離航路にも容赦なく押し寄せている。海技士免許を持つ船員の平均年齢は上昇を続け、内航船員の約半数が50歳以上という統計もある。採用市場で即戦力を待っていても、来ない。

江田島航路の旅客船事業者が選んだのは、「待つ」のをやめることだった。一般高校を卒業した新人2名を採用し、社内で一から船員を育てるプログラムを立ち上げた。海技士養成の専門学校や商船高専を経由しない、いわば「自前育成」のルートだ。

具体的には、新人はまず甲板員として乗船し、航海当直の補助や係船作業を実務で覚える。並行して、海技士国家試験の受験に必要な乗船履歴を積みながら、社内の先輩船員がOJTで航海技術や安全管理を教える。外部の養成機関に委託すれば一人あたり年間100万円以上の学費がかかるが、社内育成であれば給与を支払いながら「働き手」と「学び手」を兼ねてもらえる。事業者にとっては採用コストと教育コストを同時に圧縮できる構造になる。

もっとも、この仕組みが本当に効いてくるのは数年先だ。海技士免許の取得には一定の乗船履歴が必要で、即戦力化には最短でも2〜3年を要する。短期的な人手不足の解消策というより、「5年後に航路を維持できるかどうか」を見据えた布石と読むべきだろう。

注目すべきは、この仕組みが地域に生む副次的な効果だ。地元採用の若者が船員として定着すれば、島に残る——あるいは島に通う——理由がひとつ増える。航路の存続は島の人口動態と直結しており、「船を動かす人を育てること」が、結果として「島に暮らし続けられる条件を整えること」と重なっていく。人材育成と地域インフラの維持が、入れ子のように組み合わさっている。

広島市バス共同運行——8社の「壁」を溶かす実証実験

広島市のバス事情は、少し特殊だ。市内には広島電鉄をはじめ、広島バス、広島交通、芸陽バスなど複数の事業者がひしめき、同じ区間を異なる会社のバスが走る路線も珍しくない。利用者から見れば選択肢が多いように見えるが、裏側では各社が個別にダイヤを組み、個別に運転士を確保し、個別に赤字路線を抱えている。運転士不足が深刻化するなかで、この「個別最適」の構造が限界を迎えつつあった。

2024年度に始まった8社共同運行の実証実験は、この構造そのものに手を入れる試みだ。複数社が同一区間で運行するバスのダイヤを統合的に調整し、重複する便を整理しながら、利用者にとっての「待ち時間」は維持または短縮する。運行管理の一部を共通化することで、各社が単独で抱えていた非効率——たとえば同じ時間帯に3社のバスが続けて来て、その後30分空くといった偏り——を解消する狙いがある。

コスト面の試算はまだ実証段階だが、重複便の削減だけでも年間数千万円規模の燃料費・人件費の圧縮が見込まれるとの関係者の見方がある。ただし、ここで問われるのは単なるコスト削減ではない。8社がダイヤを「譲り合う」には、各社の収益配分や運行責任の切り分けといった、これまで競合関係にあったからこそ触れてこなかった領域に踏み込む必要がある。

実はこの共同運行には、2024年4月施行の改正地域交通法による「共同経営」の枠組みが下地にある。独占禁止法の適用除外を受けて、競合するバス会社同士がダイヤや運賃を調整することが法的に可能になった。仕組みが変わったから現場が動けた——制度設計と現場の実践が噛み合った事例として、他地域のバス事業者にとっても参照点になるだろう。

利用者の側から見れば、「どの会社のバスか」を気にせず乗れることが最大の恩恵だ。ICカードの共通化や統一時刻表の整備が進めば、バスは「複数の会社が走らせている乗り物」から「街のインフラ」へと、認識そのものが変わる可能性がある。

ワンパト隊——犬の散歩が防犯になる、ゼロコストの見守り網

広島県内の住宅街で静かに広がっている「ワンパト隊」は、仕組みの設計思想がまったく異なる。飼い犬の散歩という日常行動に、防犯パトロールの機能を重ねる。参加者は専用のベストやリードカバーを身につけて散歩するだけ。特別な訓練も、シフト管理も、報酬もない。

この取り組みの構造的な巧みさは、「すでに毎日行われていること」をそのまま活用している点にある。犬の散歩は朝と夕方——つまり子どもの登下校時間帯や、空き巣被害が発生しやすい薄暮の時間帯と重なる。意図的にパトロール要員を配置しようとすれば人件費がかかるが、犬の散歩は飼い主が自発的に、毎日、ほぼ同じ時間に行う。追加コストはほぼゼロだ。

防犯効果の定量的な検証はこれからの課題だが、犯罪学の「日常活動理論」に照らせば、一定の合理性がある。犯罪は「動機ある犯罪者」「適切な標的」「監視者の不在」の三条件が揃ったときに発生しやすいとされる。散歩中の飼い主と犬は、まさにこの「監視者」の役割を自然に果たす。犬は人間より先に異変に気づくことも多く、不審者にとっては「見られている」という心理的圧力になり得る。

もうひとつ見逃せないのは、犬を介した住民同士の接点が増えることだ。散歩中に交わす挨拶や立ち話は、地域の「顔が見える関係」を維持する装置として機能する。高齢者の孤立防止や、新住民と旧住民の橋渡しといった、防犯とは別の文脈でも効果が期待できる。仕組みが薄く広く張り巡らされることで、地域の結合組織そのものが強くなる。

三つの実験に共通する構造——「新しいもの」を持ち込まない設計

船員育成、バス共同運行、ワンパト隊。三つの取り組みは対象も規模もまったく異なるが、設計の思想に共通点がある。

第一に、いずれも「外から新しい資源を持ち込む」のではなく、「すでにあるものの配置を変える」ことで課題に対応している。船員育成は地元の若者と既存の乗船環境を使い、バス共同運行は既存の車両と路線を再配置し、ワンパト隊は毎日の散歩に新しい意味を載せた。追加投資を最小化しながら、仕組みの組み替えで機能を生み出す構造だ。

第二に、三つとも「個人の頑張り」に依存しない設計になっている。船員育成はOJTの体系化によって属人性を減らし、バス共同運行は制度的な枠組みで競合の壁を溶かし、ワンパト隊は日常行動への「乗せる」設計で参加のハードルを下げた。仕組みが回ること自体に持続性がある。

第三に、いずれも「本来の目的」の周辺に副次的な効果を生んでいる。船員育成は若者の定住を促し、バス共同運行は利用者の認識を変え、ワンパト隊は住民の交流を生む。単機能ではなく、波及する構造を持っている。

今後の注目点——仕組みは「続く」か

三つの実験が問いかけているのは、「仕組みは立ち上がった後、どう持続するか」という次の段階だ。

船員育成は、最初の2名が海技士免許を取得し、実際に航路を担うまでの数年間が正念場になる。その間に先輩船員が退職すれば、育成の連鎖が途切れるリスクがある。バス共同運行は、実証実験の成果を踏まえて本格運行に移行できるかどうか——8社の利害調整が真に試されるのはこれからだ。ワンパト隊は、参加者の高齢化や飼い犬の世代交代といった、人間と動物の両方のライフサイクルに左右される。

どの仕組みにも共通するのは、「誰かが旗を振り続けなくても回る状態」に到達できるかどうかが、成否の分かれ目になるということだ。仕組みが属人性を脱したとき、それは実験ではなくインフラになる。

瀬戸内の三つの現場は、まだ実験の途上にある。けれど、足りないものを数えるのではなく、あるものの並べ方を変えてみる——その姿勢の中に、地域が自分の手で未来を編み直す力がある。

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