老舗鮮魚店の閉業、カープ主力流出、LABI閉店——広島から「看板」が消えるとき、何が残るのか

老舗鮮魚店の閉業、カープ主力流出、LABI閉店——広島から「看板」が消えるとき、何が残るのか 広島の街から、ひとつ、またひとつと「看板」が降ろされている。 87歳の看板娘が切り盛りしてきた老舗鮮魚店の閉業。広島東洋カープの主力選手に絶え

By Rei

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老舗鮮魚店の閉業、カープ主力流出、LABI閉店——広島から「看板」が消えるとき、何が残るのか

広島の街から、ひとつ、またひとつと「看板」が降ろされている。

87歳の看板娘が切り盛りしてきた老舗鮮魚店の閉業。広島東洋カープの主力選手に絶えず囁かれるFA流出の気配。そして14年間、中区の一角に構えてきた大型家電店LABI広島の閉店——。

ジャンルはばらばらだ。魚と野球と家電。だが三つの出来事を並べたとき、浮かび上がるのは同じ輪郭をした問いである。地域を支えてきた存在が静かに退場するとき、その場所には何が残るのか。

個別の惜別ではなく、構造として読む。そこに見えてくるものを追った。

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「同じ魚ばかり」——瀬戸内の食卓を支えた毛細血管

「同じ魚ばかり···もう限界」。広島市内で長年愛されてきた老舗鮮魚店の看板娘——87歳——はそう語り、店じまいを決断した。

この言葉が指しているのは、本人の体力の限界だけではない。広島市中央卸売市場の水産物取扱量は、ピーク時と比べて3分の1以下にまで縮小している。瀬戸内近海で獲れる魚種の偏りや漁獲量の減少——海水温の上昇、藻場の減少といった環境要因が、仕入れの選択肢そのものを狭めてきた。

鮮魚店の閉業は、一店舗の消失ではない。ここで少し立ち止まって考えたいのは、「鮮魚店がなくなる」ということが、地域の食の流通においてどういう意味を持つかだ。

スーパーマーケットの鮮魚コーナーは、全国チェーンの物流網に乗った魚を並べる。効率は良い。だが、地元の漁港から朝揚がった魚を目利きで仕入れ、常連客の好みに合わせて捌く——そういう「人の判断」が介在する流通は、個人経営の鮮魚店だからこそ成り立っていた仕組みだった。市場と消費者をつなぐ毛細血管のような存在が、一本ずつ詰まっていく。

広島市内では、こうした個人経営の鮮魚店がこの10年で大きく数を減らしている。全国的にも鮮魚小売店の事業所数は1990年代から半減以上の推移をたどっており、広島も例外ではない。残った店舗の店主の多くは70代以上。後継者がいないケースがほとんどだ。

仕入れる魚が減り、買いに来る客が減り、継ぐ人がいない。三つの「減少」が同時に進行するとき、閉業は個人の決断というより、構造の帰結になる。87歳の看板娘の言葉は、その構造が限界に達した瞬間の記録だった。

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カープの主力流出——「育てて、送り出す」は仕組みなのか、宿命なのか

広島東洋カープには、繰り返されてきたサイクルがある。ドラフトで有望な若手を獲得し、育成システムの中で一線級に育て上げ——そしてFA権を取得した選手が、より高い年俸と優勝を狙える環境を求めて他球団へ移籍する。

今オフも、坂倉将吾選手をはじめとする主力選手のFA流出が取り沙汰されている。巨人、ヤクルト、DeNAといった球団が獲得に動くとされる報道が相次ぎ、広島ファンの間には「またか」という諦めにも似た空気が漂う。

ここで事実と推測は分けておく必要がある。FA権の行使はあくまで選手個人の権利であり、現時点で正式に移籍が決まったわけではない。だが、過去の実績——丸佳浩選手(2018年、巨人へ)、鈴木誠也選手(2021年オフ、MLBへ)など——を振り返れば、広島が「育成球団」としての役割を果たしながら、その成果を他球団に渡してきた構造は否定しがたい。

問題の核にあるのは、球団の収益構造だ。広島東洋カープの年間売上規模は、巨人やソフトバンクといった球団と比較すると大きな開きがある。親会社を持たない市民球団という特性上、放映権料やスポンサー収入にも限界がある。マツダスタジアムの集客は好調を維持してきたが、それだけで他球団と同水準の年俸を提示し続けることは難しい。

つまり、選手が「出ていく」のは個人の意思であると同時に、球団の経済規模という構造が生み出す必然でもある。ファンが感じる喪失感は、単に好きな選手がいなくなる寂しさだけではない。自分たちの街が育てたものが、より大きな経済圏に吸い上げられていく——その感覚が、鮮魚店の閉業やLABIの撤退と、どこかで重なる。

「育てて、送り出す」を美談にすることはできる。だが、送り出した先に何も戻ってこない構造が続くなら、それは仕組みではなく消耗だ。カープのドラフト戦略や育成力は球界屈指と評されるが、その力を地域に還元し続けるための経済的な仕組みが追いついていない。ここに、地方球団が抱える構造的な課題がある。

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LABI閉店——14年で変わったのは街か、消費か

2010年、広島市中区にオープンしたヤマダデンキの大型店「LABI広島」。開業当初は大きな話題を呼び、周辺の商業地図を塗り替える存在として注目された。

そのLABIが、14年の営業を経て閉店した。新店舗は同じ中区の商業施設「パセーラ」内に移転するが、売場面積は大幅に縮小される。跡地の活用は現時点で未定だ。

14年という時間の中で変わったものは多い。EC(ネット通販)の台頭により、家電量販店のビジネスモデル自体が転換期を迎えている。経済産業省の調査によれば、家電・AV機器のEC化率は年々上昇を続けており、実店舗で「見て」ネットで「買う」消費行動——いわゆるショールーミング——が常態化した。大型の売場面積を維持するコストに対して、来店客の購買率が見合わなくなる。全国的に家電量販店の大型旗艦店の閉店・縮小が相次いでいるのは、広島だけの現象ではない。

だが、広島固有の文脈もある。LABI広島が立地していたエリアは、紙屋町・八丁堀という広島の中心商業地区だ。この一帯では近年、複数の再開発計画が進行しており、商業施設の新陳代謝が加速している。閉店は「撤退」であると同時に、街の構造が変わる過程で生じた「入れ替え」でもある。

ただし、入れ替わった先に何が来るかは見えていない。跡地が新たな商業施設になるのか、オフィスビルになるのか、あるいは空白のまま残るのか。大きな箱が消えたあとの空白を、誰がどう埋めるか。この問いは、鮮魚店が閉じたあとの商店街にも、主力選手が抜けたあとのチームにも、そのまま当てはまる。

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三つの「消失」に通底する構造

鮮魚店、カープ、LABI——三つの事象を並べて見えてくるのは、「地域に根差した存在が、より大きな力学によって維持できなくなる」という共通の構造だ。

鮮魚店は、海洋環境の変化と流通の効率化の波に。カープは、プロ野球の経済格差の構造に。LABIは、EC化と消費行動の変容に。いずれも、個別の経営努力や個人の頑張りでは抗いきれない、マクロな力が作用している。

そしてもうひとつ、共通しているのは「支えていた仕組み」の不在が、消失のあとに可視化されるということだ。鮮魚店がなくなって初めて、地元の魚が食卓に届く経路がいかに細いものだったかに気づく。主力選手が移籍して初めて、その選手がチームの中でどれだけの役割を担っていたかが浮き彫りになる。大型店が閉じて初めて、あの場所が街の人の流れにどう作用していたかが見える。

「看板」は、ただの目印ではない。人の流れを作り、関係性を維持し、地域の自己認識を支える装置だった。それが降ろされるとき、失われるのは看板そのものだけではなく、看板がつないでいた関係性の網目だ。

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問いを残す——「これは誰を楽にするか」

「地域の活性化」「消費者の意識改革」「新たなビジネスモデル」——こうした言葉は処方箋として繰り返し語られる。間違いではない。だが、少し立ち止まりたい。

鮮魚店の閉業を「時代の流れ」と片づけることは簡単だ。カープの選手流出を「FA制度がある以上仕方ない」と言うこともできる。LABIの閉店を「ECの時代だから」と説明することも可能だ。だが、そのどれもが「仕方ない」の一言で、支えていた人の時間と労力を消してしまう危うさを持っている。

構造の問題に対して、個人の感傷で抗うことはできない。けれど、構造を読み解くことはできる。どこに力が集中し、どこから抜けていくのか。その流れの中で、誰が楽になり、誰が取り残されるのか。

87歳の看板娘が「もう限界」と口にしたとき、その言葉は彼女個人の引退宣言であると同時に、ひとつの時代の仕組みが限界を迎えた記録でもあった。

広島から「看板」が消えていく。その事実を前にして、私たちにできるのは、せめてその看板が何を支えていたのかを正確に記憶することだ——次の看板を掲げる誰かのために。

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