無医地区53×乳幼児虐待捜査専門化×インフル最速流行——「届かない医療」の地図を重ねてみる

三枚の地図を重ねると、輪郭が見える 広島県に「無医地区」が53カ所ある——という事実は、四半世紀以上にわたって動いていない。全国ワースト2位。その数字だけを見れば「地方の医療過疎」という、よく聞く話に回収されてしまう。 だが今、この地図

By Rei

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三枚の地図を重ねると、輪郭が見える

広島県に「無医地区」が53カ所ある——という事実は、四半世紀以上にわたって動いていない。全国ワースト2位。その数字だけを見れば「地方の医療過疎」という、よく聞く話に回収されてしまう。

だが今、この地図の上に二つの出来事を重ねてみると、少し違う景色が浮かぶ。一つは、広島県警が乳幼児虐待の捜査態勢を専門化し、県立広島病院と連携協定を結んだこと。もう一つは、今季のインフルエンザが過去10年で最も早く流行入りしたこと。

三つはそれぞれ別のニュースだ。けれど「医療が届かない場所で、最も声の小さい人に何が起きるか」という問いで結ぶと、一本の線になる。

53カ所という数字が動かない構造

厚生労働省の定義では、無医地区とは「おおむね半径4キロメートルの区域内に50人以上が居住し、かつ容易に医療機関を利用できない地区」を指す。広島県が抱える53カ所は、北部の山間地域——庄原市、三次市、安芸太田町、北広島町などに集中している。

注目すべきは、この数字がほとんど減っていないことだ。2019年時点の厚労省調査で広島県の無医地区数は全国2位。北海道に次ぐ多さである。県は巡回診療やオンライン診療の導入を進めてきたが、常駐医の確保には至っていない地区が大半を占める。

なぜ動かないのか。背景には、中山間地域の人口減少と高齢化がある。2020年国勢調査によれば、庄原市の高齢化率は約43%、安芸太田町は約50%に達する。患者数が少なければ診療所の経営は成り立たず、医師は都市部に流れる。人が減るから医療が撤退し、医療がないからさらに人が減る——この循環構造そのものが、53という数字を固定している。

問題は「医師がいない」という一点に見えて、実際にはその裏に交通、人口動態、財政、そして地域コミュニティの縮小が入れ子のように重なっている。

県警と病院が手を結んだ理由——虐待捜査の「見立て」に医療が要る

広島県警が県立広島病院と乳幼児虐待に関する連携協定を締結した。焦点は、乳幼児の頭部外傷——いわゆる「揺さぶられ症候群(SBS/AHT)」の鑑別にある。

子どもの頭部外傷が虐待によるものか、事故や疾病によるものかを判断するには、高度な小児科・脳神経外科の知見が不可欠だ。県警の発表によれば、協定の柱は「医学的知見に基づく早期判断」と「捜査と医療支援の同時進行」。つまり、警察だけでは見立てができない領域を、医療の専門家が補う仕組みである。

この協定自体は、都市部の拠点病院と県警本部の間で結ばれたものだ。しかし、ここで一つの問いが生まれる——無医地区の子どもたちは、そもそもこの仕組みの入り口にたどり着けるのか。

虐待の早期発見において、最初の「気づき」を担うのは多くの場合、乳幼児健診や予防接種の場だ。定期的に子どもの身体を診る機会があるからこそ、不自然なあざや発育の遅れに医療者が気づく。ところが、無医地区ではその「定期的に診る」という前提が崩れている。健診の受診率が下がれば、虐待のサインは見えなくなる。

県警と病院の連携は、疑いが生じた「後」の仕組みだ。だが、疑いが生じる「前」——つまり日常的な医療接点がない場所では、その仕組み自体が起動しない。専門化された捜査態勢が機能するためには、その手前にある「発見の網」が必要であり、その網の目が最も粗いのが無医地区である。

インフルエンザ最速流行——「1.33」が意味すること

広島県は今季、県内の定点医療機関あたりのインフルエンザ患者報告数が1.33人となり、流行開始の目安である1.00人を超えた。過去10年で最も早い流行入りである。

1.33という数字は、あくまで「報告された患者数」に基づく。定点医療機関とは、県が指定した約130カ所の医療機関を指す。ここで見落としてはならないのは、無医地区にはそもそも定点医療機関が存在しないという事実だ。つまり、53カ所の無医地区で何が起きているかは、この数字には反映されていない。

感染症の流行期に医療アクセスが制限されることの影響は、二重構造になっている。第一に、診断と治療の遅れ。インフルエンザは発症後48時間以内の抗ウイルス薬投与が重症化予防の鍵とされるが、最寄りの医療機関まで車で30分以上かかる地域では、その時間的猶予が削られる。第二に、ワクチン接種率の低下。無医地区では予防接種を受ける場所自体が限られ、特に乳幼児や高齢者の接種が後回しになりやすい。

広島県の高齢化率は約30%(2023年推計)。無医地区が集中する山間部ではさらに高い。高齢者と乳幼児が同居する世帯で、一人がインフルエンザに罹患した場合、家庭内感染のリスクは高まる。だが、その家庭が医療機関から遠く離れていれば、「様子を見る」しか選択肢がない時間が生まれる。

三つの問題が交差する場所——「見えない人」の存在

無医地区、虐待捜査の専門化、インフルエンザの最速流行。三つの事象を並べたとき、共通して浮かび上がるのは「制度の網の目からこぼれ落ちる人」の存在だ。

虐待捜査の連携協定は、医療機関に子どもが運ばれてきて初めて機能する。インフルエンザの流行データは、定点医療機関を受診した患者だけを数える。どちらも、医療との接点がある人を前提にした仕組みである。

無医地区に暮らす人々は、その前提の外にいる。

これは「届かない医療」の問題であると同時に、「見えない人」の問題でもある。制度が整備されるほど、その制度にアクセスできない人との格差は静かに広がる。県警と病院の連携が進むことは前進だ。インフルエンザの早期警戒が機能していることも重要だ。だが、その仕組みが届かない場所があるという事実を、仕組みの設計者は認識しているだろうか。

仕組みは「誰を楽にする」ために設計されているか

広島県は2024年度、オンライン診療の推進や巡回診療車の拡充を施策として掲げている。また、乳幼児健診のオンライン化や、保健師による訪問体制の強化も議論されている。一つひとつは意味のある取り組みだ。

だが、問いたいのは設計の順序である。仕組みは通常、最も多くの人に届く形から設計される。都市部の拠点病院に専門機能を集約し、定点医療機関でデータを集め、連携協定で制度をつなぐ。効率としては正しい。しかし、その設計の外側にいる53カ所の無医地区——そこに暮らす人々は、効率の計算に入っているのか。

「誰を楽にするか」という問いは、裏を返せば「誰が楽にならないまま残されるか」という問いでもある。

巡回診療は月に数回。オンライン診療は通信環境とデジタルリテラシーが前提になる。保健師の訪問は人員の確保が課題だ。どれも「ないよりはまし」ではある。だが、その「まし」の積み重ねで、本当に乳幼児の虐待サインを拾えるのか。インフルエンザの重症化を防げるのか。

今後の注目点——地図の重なりを見続けること

三つの事象は、今後それぞれ別の文脈で報じられていくだろう。無医地区の問題は地域医療の枠で、虐待捜査は事件報道の枠で、インフルエンザは感染症対策の枠で。

だが、それらを別々に見ている限り、交差点に立つ人の姿は見えない。山間部の無医地区で、乳幼児を育てながら、インフルエンザの流行期を医療機関なしで乗り越えようとしている家庭——その家庭に、虐待の捜査連携も、流行の警戒情報も、届いているのか。

今後注目すべきは、以下の三点だ。

  • 無医地区における乳幼児健診の受診率:県全体の平均と無医地区の数字に差があるなら、それは「発見の網」の穴を示す。
  • オンライン診療の実稼働状況:制度として整備されたことと、実際に使われていることは別の話だ。利用件数と地域分布のデータが公開されるかどうか。
  • 連携協定の運用実績:県警と県立広島病院の協定が、実際にどの地域からのケースに適用されたか。都市部に偏っていないかどうか。

仕組みは、設計された瞬間ではなく、届いた瞬間に意味を持つ。53カ所の無医地区という地図は、四半世紀にわたって同じ形をしている——その輪郭の内側で、誰かが今日も、医療なしの一日を過ごしている。

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