フェリー訓練×掃海艦公開×サイクルシップ——瀬戸内の「海の動線」を支える裏方たちの仕組み
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観光客が渡る海の、その手前にある仕事
しまなみ海道を自転車で渡る人、尾道水道をフェリーで横切る人、向島の造船所を眺めてカメラを構える人——瀬戸内の海沿いには、いつも誰かが「動いている」風景がある。けれど、その動線が成り立つためには、観光客の目に映らない場所で回り続けている仕組みがある。
尾道周辺でこの秋、三つの出来事がほぼ同じ時期に重なった。フェリー会社が地域住民を対象に実施した海上安全訓練、海上自衛隊の掃海艦「えたじま」の尾道寄港と一般公開、そしてサイクルシップ——自転車をそのまま載せられる旅客船——の実証運航である。
一見すると別々のニュースに見える。だが三つを並べてみると、瀬戸内の海上交通を「安全」「保全」「接続」という三つの層で支える構造が浮かび上がる。華やかな動線の裏側で、誰が何を担っているのか。それぞれの現場を追った。
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フェリー訓練——「乗る側」が備えを持つという設計
尾道と向島を結ぶ航路は、片道わずか数分。地元の人にとっては通勤・通学の足であり、日常の一部だ。だからこそ、いざという時の備えが後回しになりやすい。
尾道市内のフェリー事業者が実施した海上安全訓練には、約60人の地域住民が参加した。実際に運航中のフェリーを使い、救命胴衣の着用手順、船内での避難経路の確認、落水時の対応などを体験する内容だった。参加者の中には、毎日この航路を使っているという向島在住の女性もいた。「救命胴衣の場所を初めて確認した」という声があったという。
注目すべきは、この訓練が「運航する側」ではなく「乗る側」に向けて設計されている点だ。船員の技能訓練は法令で義務づけられている。しかし、旅客——つまり住民や観光客——が安全行動を身につける場は、制度としてはほぼ存在しない。航空機であれば離陸前に安全ビデオが流れるが、短距離フェリーにはその習慣がない。
フェリー事業者がこの訓練を自主的に続けている背景には、瀬戸内特有の事情がある。尾道水道は幅約200〜300メートルと狭く、潮流も速い。大型船舶との行き交いもある。短い航路であっても、リスクがゼロではないことを「乗る側」が知っていること——それ自体が、安全の仕組みの一部になる。
訓練を終えた参加者のひとりは、「毎日乗っているのに、船の構造を何も知らなかった」と話した。日常に埋もれた動線ほど、意識の外に置かれやすい。この訓練は、その盲点を静かに埋める作業だった。
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掃海艦「えたじま」——海の底を整える仕事
2023年10月24日・25日の二日間、尾道港に海上自衛隊の掃海艦「えたじま」が寄港し、一般公開が行われた。同時期に開催された「グルメサミットin尾道」と会場が隣接していたこともあり、家族連れや観光客の姿も多く見られた。
掃海艦とは、海中の機雷を探知・除去するための艦艇である。「えたじま」は2022年に就役した最新鋭のあわじ型掃海艦で、基準排水量は約690トン。船体にはFRP(繊維強化プラスチック)が用いられ、磁気機雷に感応しにくい構造を持つ。乗員は約50名。派手な戦闘艦とは異なり、その任務は「航路の安全を事前に確保する」という地道なものだ。
ここで少し立ち止まって考えたい。フェリーが毎日安全に航行できるのは、その航路の海底が「整えられている」からだ。瀬戸内海には、第二次世界大戦中に敷設された機雷がいまだ残存しているとされる。海上自衛隊は戦後から現在まで、累計で約7,400個以上の機雷を処分してきた。掃海という仕事は、海の動線の「地盤」を整備する作業にほかならない。
一般公開の場で、乗員のひとりが来場者にこう説明していたという。「私たちの仕事がうまくいっているときは、何も起きません」。この言葉に、裏方の仕事の本質が凝縮されている。何も起きないことが成果であり、その成果は目に見えない。
掃海艦の寄港が尾道で行われたことには、地理的な必然もある。瀬戸内海は日本有数の内海航路の密集地帯であり、来島海峡や備讃瀬戸など潮流の激しい海域を多くの船舶が行き交う。その航路の安全を守る掃海部隊の存在を、航路沿いの住民が直接知る機会は、実はそう多くない。艦艇公開は、見えない仕事を「見える」場に引き出す数少ない接点だった。
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サイクルシップ——動線の「継ぎ目」を埋める実験
三つ目の出来事は、サイクルシップの実証運航だ。しまなみ海道を自転車で走るサイクリストにとって、尾道〜今治間の約70キロは一本の線として認識されている。しかし実際には、この線にはいくつかの「継ぎ目」がある。
最も大きな継ぎ目が、尾道と向島の間だ。しまなみ海道の自動車専用道路は尾道側の起点が新尾道大橋であり、自転車は通行できない。サイクリストは渡船を利用するしかないが、既存のフェリーや渡船に自転車を載せるには、混雑時に待ち時間が生じたり、台数制限があったりする。
サイクルシップは、この継ぎ目を専用の仕組みで埋めようとする試みだ。自転車を分解・袋詰めせず、そのまま船内に持ち込める設計の旅客船を運航し、サイクリストの移動をシームレスにつなぐ。実証実験では、尾道〜瀬戸田間など複数の航路パターンが検討されており、しまなみ海道の途中区間をショートカットする使い方も想定されている。
国土交通省が推進する「サイクルツーリズム」の文脈では、しまなみ海道は日本を代表するモデルルートとして位置づけられている。2019年時点で、しまなみ海道のサイクリスト利用者は年間約35万人と推計されていた。コロナ禍を経て回復基調にある中、サイクルシップは「走る」と「渡る」の接続を滑らかにすることで、ルート全体の体験価値を底上げする狙いがある。
ここで興味深いのは、サイクルシップが「観光客のため」だけの仕組みではない点だ。島嶼部に暮らす住民にとって、自転車は日常の移動手段でもある。買い物や通院のために自転車ごと船に乗れる環境が整えば、それは生活の動線そのものを楽にする。観光と生活、二つの文脈が同じ仕組みの上で重なる——その入れ子構造に、このプロジェクトの面白さがある。
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三つの層が重なるとき
フェリー訓練は「乗る人の備え」を整え、掃海艦は「航路の地盤」を整え、サイクルシップは「動線の継ぎ目」を整える。三つの取り組みは、それぞれ別の主体が、別の目的で動いている。フェリー事業者、海上自衛隊、自治体と交通事業者——角度はまったく違う。
しかし、三つを重ねて見ると、ひとつの構造が見えてくる。瀬戸内の海上交通は、「安全の層」「保全の層」「接続の層」という三層で支えられているということだ。どれかひとつが欠けても、動線は成り立たない。
そしてこの三層には、共通する性質がある。いずれも「うまくいっているときは見えない」ということだ。訓練が活きるのは事故が起きなかったとき。掃海が成功しているのは航路に異常がないとき。サイクルシップが機能するのは、サイクリストが「継ぎ目」を意識しなくなったとき。成果が不可視であること——それが裏方の仕組みの宿命であり、だからこそ、こうして一度立ち止まって構造を見る意味がある。
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今後の注目点
三つの動きには、それぞれ次のフェーズがある。
フェリー訓練については、参加者60人という規模を今後どう広げるかが課題になる。向島だけでなく、因島や生口島など他の島嶼航路にも同様の取り組みが展開されるかどうか。また、訓練の内容をインバウンド観光客にも対応させる必要が出てくるだろう。多言語での安全案内や、文化的背景の異なる乗客への対応は、瀬戸内全域の課題でもある。
掃海艦の寄港と一般公開は、防衛省の広報活動の一環でもあるが、地域との接点としての意味は小さくない。海上自衛隊呉基地との地理的近接性を活かし、定期的な交流の場が設けられるかどうかが注目される。
サイクルシップについては、実証実験から本格運航への移行が最大の焦点だ。採算性の確保、既存の渡船事業者との棲み分け、季節変動への対応——乗り越えるべき課題は多い。しかし、しまなみ海道という「線」を、瀬戸内という「面」に広げる可能性を持つ仕組みとして、その行方は追い続ける価値がある。
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瀬戸内の海は穏やかに見える。けれど、その穏やかさは自然の恵みだけでできているわけではない。訓練する人、海底を調べる人、継ぎ目を埋める人——見えない手が重なって、はじめてあの凪いだ水面の上を、人は安心して渡ることができる。
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JA
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