フタバ図書が24時間無人営業、広電が30年ぶり貸切バス復活——広島の「仕組みで回す」静かな転換点
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深夜1時の書店に、店員はいない。レジに立つ人もいない。けれど明かりは点いていて、棚には本が並んでいる——。
広島市安佐南区の「フタバ図書 TSUTAYA MEGA中筋店」が10月1日から始めた24時間無人営業は、そういう風景をつくり出した。同じ頃、広島電鉄は30年ぶりに貸切バス事業を復活させ、6台の新車両を「ヨリトリミドリ」の愛称で走らせ始めている。
書店と路面電車の会社。業種はまるで違う。だが両者の動きを並べてみると、ひとつの共通した問いが浮かび上がる。「人が足りないなら、仕組みのほうを変えればいい」——広島の街で静かに進む、構造の転換点を読む。
誰もいない書店が、誰かの夜を支える
フタバ図書の無人営業は、端的に言えば「スタッフ不在の時間帯に、店を閉めずに済む仕組み」だ。深夜から早朝にかけての時間帯、入店はスマートフォンアプリまたは会員カードで認証し、商品の決済はセルフレジで完結する。防犯カメラとセンサーによる遠隔監視を組み合わせ、有人時間帯と無人時間帯をシームレスにつなぐ設計になっている。
ここで注意したいのは、「無人化」という言葉の印象と実態のずれだ。昼間の時間帯には従来どおりスタッフが常駐し、接客や棚の整理、推薦POPの作成といった「人がやるからこそ意味がある仕事」は残されている。つまりこれは、店舗から人を排除する話ではない。人がいなくても回る時間帯をつくることで、人がいる時間帯の密度を上げる——そういう設計思想だ。
フタバ図書は広島県を中心に複数店舗を展開してきたが、近年は書店業界全体の縮小と人手不足の二重苦に直面していた。深夜帯のシフトを埋められないから営業時間を短縮する、営業時間を短縮すると売上が減る、売上が減ると人を雇えない——この負のループを、仕組みの側から断ち切ろうとする試みだと言える。
ドラフトでは初期投資約500万円、人件費20%削減という数字が挙げられていたが、この数字の出典は現時点で公式発表として確認できていない。ここでは事実と推測を分けておく必要がある。確認できているのは、無人営業の導入によって24時間営業が実現したという事実、そしてフタバ図書がこの仕組みを他店舗にも展開する可能性を示唆しているという報道だ。
むしろ注目すべきは、数字よりも「誰がこの仕組みで楽になるのか」という問いだろう。深夜シフトに入れるスタッフを探し続ける店長。仕事帰りに立ち寄れる本屋がなかった住民。閉店時間を気にしながら棚の前で迷っていた学生。この仕組みが届く先には、具体的な顔がある。
30年の空白を埋めた「ヨリトリミドリ」
広島電鉄が貸切バス事業から撤退したのは1990年代半ばのことだった。規制緩和による競争激化と、バブル崩壊後の団体旅行需要の冷え込みが重なった時代だ。路面電車とバス路線という公共交通の本業に経営資源を集中させる——当時の判断は合理的だったと言える。
では、なぜ今なのか。
背景にあるのは、インバウンド需要の急回復だ。広島は原爆ドームと厳島神社という二つの世界遺産を擁し、コロナ禍前から外国人観光客の訪問先として高い人気を誇っていた。2023年以降、訪日外国人数がコロナ前の水準を上回るペースで回復するなか、広島でも団体・グループ単位の移動需要が目に見えて増えている。
広電が導入した貸切バス6台、愛称「ヨリトリミドリ」。この名前には「選り取り見取り」と「緑(ミドリ=広電のコーポレートカラー)」が掛けられている。観光ルートの自由度と、広電ブランドへの愛着を一つの言葉に重ねる——命名ひとつにも、仕組みの設計者の意図が透ける。
重要なのは、広電がこの事業を単独の新規事業としてではなく、既存の交通ネットワークの延長線上に位置づけている点だ。路面電車、路線バス、そして貸切バス。公共交通の事業者が持つ運行管理のノウハウ、車両整備の体制、ドライバーの教育システム——これらはすでに社内に存在する資産であり、貸切バス事業はその資産の「再配置」として成立する。ゼロから立ち上げるスタートアップとは、リスクの構造が根本的に異なる。
ドラフトでは投資額約1億円、年商30%増という数字があったが、こちらも公式発表としての裏付けを確認できていない。事実として確認できるのは、6台の新車両を導入したこと、旅行会社や宿泊施設との連携による送客の仕組みを構築中であること、そして広電がこの事業を「地域の観光基盤の一部」として位置づけていることだ。
二つの事例が重なる場所
書店の無人化と、交通事業者の貸切バス復活。一見すると接点のないこの二つの動きが、同じ時期に同じ街で起きていることに、少し立ち止まりたい。
共通しているのは、「人を増やせないなら、仕組みの側を動かす」という発想だ。フタバ図書は、人がいない時間帯を技術で埋めた。広電は、すでに社内にある資産を別の用途に再配置した。どちらも、外から新しいリソースを調達するのではなく、今あるものの配置を変えることで、新しい価値を生み出している。
そしてもうひとつ——どちらも「誰かの不便」を起点にしている。深夜に本を買いたい人がいる。団体で広島を巡りたい観光客がいる。その不便は、従来の仕組みでは構造的に解消できなかった。だからこそ、仕組みそのものを変える必要があった。
地方都市の経済を語るとき、「人口減少」「高齢化」「人手不足」といった言葉が枕詞のように並ぶ。それは事実だ。だが、その事実の前で立ち止まるか、仕組みを動かすかで、風景はまるで変わる。
これからの問い
フタバ図書の無人営業が他店舗に広がるとき、何が起きるか。深夜帯の売上データが蓄積されれば、「どんな本が深夜に売れるのか」という新しい知見が生まれる。それは品揃えを変え、届く人を変え、書店という場所の意味そのものを更新するかもしれない。
広電の貸切バスが軌道に乗れば、路面電車との組み合わせで「広島の移動体験」をパッケージとして設計できるようになる。交通事業者が観光の動線そのものをデザインする——その構造は、他の地方都市にとっても参照可能なモデルになり得る。
ただし、ここで性急に「成功」を語るのは早い。無人営業の防犯リスク、深夜帯の利用者数が採算ラインに届くかどうか、貸切バスのドライバー確保、インバウンド需要の持続性——解くべき問いはまだいくつも残っている。仕組みは設計した瞬間に完成するのではなく、運用の中で磨かれていくものだ。
それでも、この二つの動きには記録しておくべき価値がある。人が足りないという現実を、嘆きではなく設計図に変えた人たちがいる。深夜の書店に明かりが灯り続けていること、30年ぶりに「ヨリトリミドリ」と名づけられたバスが走り出したこと——それは、仕組みの向こう側に人の暮らしを見ている証だ。
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JA
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