スイス人刀鍛冶が三原に道場を構え、神主と杜氏と農家が酒を醸し、ドミニカから5人が来た——「外から来た人」が広島の技を継ぐ、静かな反転

広島の技術を継ぐのは、広島の人ではないかもしれない——そんな逆説が、いま県内の三つの現場で同時に動いている。 三原市では、スイス人刀鍛冶が道場を開いた。広島市内では、神主・杜氏・農家という異業種の三人が米から酒を仕込んでいる。そしてマツダ

By Rei

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広島の技術を継ぐのは、広島の人ではないかもしれない——そんな逆説が、いま県内の三つの現場で同時に動いている。

三原市では、スイス人刀鍛冶が道場を開いた。広島市内では、神主・杜氏・農家という異業種の三人が米から酒を仕込んでいる。そしてマツダスタジアムの周辺では、ドミニカ共和国から来た大型の練習生たちがバットを振っている。三つの話に直接のつながりはない。だが並べてみると、ひとつの構造が浮かび上がる。「外から来た人」が、土地の技を受け取り、土地に根を下ろそうとしている——その仕組みそのものが、継承の新しい形になりつつあるということだ。

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火入れ式の炎が映したもの——スイス人刀鍛冶、三原に道場を構える

広島県三原市に完成した刀鍛錬道場で、火入れ式が行われた。炉に最初の火を入れたのは、スイス出身の刀鍛冶ジョハン・ロイトヴィラーさんだ。

ロイトヴィラーさんは、日本刀の鍛錬技術を本格的に学ぶために来日し、師匠のもとで修行を重ねてきた。日本刀の制作は、玉鋼の選別から折り返し鍛錬、焼き入れに至るまで、数十にも及ぶ工程を経る。一振りの刀が完成するまでに数週間から数カ月を要し、その技術体系は数百年の蓄積の上に成り立っている。国内の刀匠の数は年々減少しており、文化庁の登録刀匠はおよそ180名前後とされる。後継者不足は深刻で、技術の断絶が現実の問題として語られて久しい。

その文脈の中で、海を越えて来た人間が道場を構えるという事実は、少し立ち止まって考える価値がある。

ロイトヴィラーさんは「刀に見所を作っていきたい」と語った。「見所」とは、刀の刃文や地鉄に現れる美しさのことであり、鍛冶の技量と感性がそのまま映る部分だ。この言葉を選ぶこと自体が、彼がどれだけ深く日本刀の美学に入り込んでいるかを示している。

道場の設立費用は約500万円。地域からの支援も受けて実現した。三原市にとっては、国内外から刀鍛冶を志す人が訪れる拠点が生まれたことになる。技術が人を呼び、人が土地に根を張る——その循環の起点が、外から来た一人の鍛冶師だったという構造は、従来の「地元の名人が弟子を取る」という継承モデルとは明らかに異なる。

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神主、杜氏、農家——角度の違う三人が同じ一杯にたどり着く

広島市内では、もうひとつの「外からの継承」が進んでいる。ただし、こちらは地理的な外ではなく、業種の外だ。

神主、杜氏、農家。この三人が手を組んで日本酒「一味神水(いちみしんすい)」を醸している。2019年に始まったこの取り組みは、今回で3度目の仕込みとなる。

注目すべきは、三人の専門がそれぞれ異なる角度から酒に向かっていることだ。神主は祭祀と地域の精神文化を担い、杜氏は発酵と醸造の技術を持ち、農家は原料である米を土から育てる。酒造りという一点で、三つの専門が噛み合う。米の品種選定、栽培方法、洗米・浸漬の条件、麹の管理、醪(もろみ)の温度制御——それぞれの工程に、それぞれの知見が効いている。

「一味神水」という名前自体が、神事における誓いの水を意味する。酒が単なる嗜好品ではなく、土地の文化と信仰を液体に閉じ込めたものであるという宣言でもある。

一本あたりの価格帯は5,000円前後。決して安くはないが、米の栽培から仕込みまでを一貫して行うコスト構造を考えれば、むしろ誠実な値付けだろう。大手メーカーの量産品とは異なり、年間の生産量は限られる。だからこそ、一本一本に三人の手触りが残る。

この取り組みが示しているのは、酒造りの「継承」が、必ずしも蔵元の家系の中だけで起きるわけではないということだ。異なる業種の人間が、それぞれの持ち場から技術と文化を持ち寄ることで、新しい継承の回路が開かれる。内側で閉じていた技が、外からの視点によって再び動き出す。

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203センチの体が教えてくれること——ドミニカ練習生の存在

広島東洋カープのドミニカアカデミーから、5人の練習生が来日した。秋季キャンプに合流し、日本の練習環境で技術を磨く。その中には身長203センチ、体重103キロという大型選手も含まれている。

この話を「外国人選手の獲得」という枠だけで見ると、構造を見落とす。

ドミニカアカデミーは、カープが中米に設けた育成拠点だ。現地で素質のある若者を見出し、基礎から鍛え、日本の野球に適応できるかどうかを見極める。練習生たちは、日本の野球文化——緻密な配球、走塁の判断、守備のポジショニング——を体に染み込ませようとしている。一方で、彼らが持ち込む身体能力やプレースタイルは、日本人選手にとって日常では得られない刺激になる。

技術の流れは一方通行ではない。日本の野球の「型」がドミニカの選手に伝わり、ドミニカの選手の「力」が日本の現場を揺さぶる。この双方向性こそが、練習生制度の本質的な価値だろう。地域の若手選手たちが、自分とはまったく異なる身体と感覚を持つ相手と同じグラウンドに立つ——その経験は、数値化しにくいが、確実に何かを変える。

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三つの現場に共通する構造

刀鍛冶、酒造り、野球。三つの現場は、ジャンルも規模もまったく違う。しかし、そこに流れている力学は同じだ。

「内側にあった技術を、外から来た人が受け取り、その土地に新しい形で定着させる」——この構造が、三つの現場で同時に起きている。

従来の「継承」は、師匠から弟子へ、親から子へ、地域の中で閉じた回路として機能してきた。それ自体は美しい仕組みだが、担い手が減れば回路は止まる。いま広島で起きていることは、その回路の入り口を外に開いたということだ。スイスから来た鍛冶師が炉に火を入れ、異業種の三人が蔵に入り、ドミニカから来た若者がバットを構える。

重要なのは、これが「外の人が内の技術を奪う」話ではないということだ。ロイトヴィラーさんは三原に道場を構え、地域に根を下ろした。異業種トリオは地元の米を使い、地元の蔵で仕込む。練習生たちはカープのユニフォームを着て、広島のグラウンドで汗を流す。外から来た人が、内側の一部になっていく。その過程そのものが、継承の新しい姿だ。

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これは誰を楽にするか

最後に、ひとつだけ問いを置いておきたい。

この「外からの継承」という仕組みは、誰を楽にするのか。

答えは、おそらく「次の世代」だ。技術が途絶えれば、次の世代はゼロから始めなければならない。しかし、外から来た人が技を受け取り、土地に残してくれれば、次の世代にはすでに学ぶ場所がある。道場があり、蔵があり、グラウンドがある。

継承とは、過去を守ることではない。未来の誰かが「ここから始められる」という足場を残すことだ。

三原の道場で炉に火が入った日、その炎を見ていたのはスイス人の鍛冶師だった。しかし、その炎が照らしているのは、まだ名前も知らない、これから刀を打ちたいと思う誰かの顔だ。

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